2025年2月15日
民主法律協会
会長 豊川義明
第1 本意見書の趣旨
1 労基研報告書の概要
厚生労働省労働基準局は、令和年6年1月「労働基準関係法制研究会」(以下、「労基研」という。)を設置し、労働基準法改正に向けた議論を開始した。これは「新しい時代の働き方研究会」報告書(令和5年10月)の打ち出した、新時代に即した労働基準法制の方向性として「労働者の多様な希望と事情に応じた柔軟な活用」ができる制度、「適正で実効性のある労使コミュニケーションの確保」「シンプルでわかりやすく実効的な制度」にしていくことなどの提案を受けたものであった。労基研は、その延長で議論を進め、令和7年1月8日に「労働基準関係法制研究会報告書」(以下、「報告書」という。)を公表した。報告書は、社会や経済の構造変化などによって、働く人や働き方が多様化していることを強調し、労働基準法制による一律の規制ではなく、「労使の合意等の一定の手続の下に個別の企業、事業場、労働者の実情に合わせて法定基準の調整・代替を法所定要件の下で可能とする仕組み」とすることが必要とする。その上で、「労働基準関係法制の構造的課題」として①「労働者」、②「事業」、③労使コミュニケーションの在り方の3点を挙げ、①②については、結論を出さずにその大半を今後の継続的研究に委ね、③については、「過半数代表」について踏み込んだ提案を行っている。加えて、働き方改革関連法の施行から5年が経過したことをふまえて、労働時間法制の具体的課題と規制の在り方についても検討がなされている。
2 民法協の本意見書の作成経緯
本意見書は、法律家(研究者・弁護士)と労働者・労働組合が連帯し、ともに労働者の権利擁護のために活動をする民主法律協会として、上述した報告書の検討事項のうち、主に労使コミュニケーション、及び、労働時間規制の在り方に関して、労働現場の実態をふまえて意見を述べるものである。意見を述べるに先立ち、令和6年11月から12月にかけて民主法律協会の会員労組(大阪労連、大阪自治労連、新聞労連、医労連、生協労連、化学一般、出版労連、建交労)を対象に、労働現場の実態や労働法制に求めることについて詳細なヒアリングを行った。ヒアリングでは、長時間労働や違法なサービス残業がまん延する労働現場の実態や、労使合意により労働基準関係法制に例外を設ける方向に反対であることなどが明らかになった。本意見書では、以下、第2において報告書の基本的な問題点を詳細に述べ、第3において労働時間法制の個別課題について報告書の問題点を述べる。
第2 報告書の基本的な問題点
1 報告書の本質と目的
(1) 労働基準関係法制の構造的課題について、報告書は「労使の合意等の一定の手続の下に個別の企業、事業場、労働者の実情に合わせて法定基準の調整・代替を法所定要件の下で可能とする」(報告書5頁等)と提示する。報告書は、労使合意により労基法等の保護を適用除外すること(いわゆる「デロゲーション」)を直ちに拡大するとは述べていない。しかし、実情に合わせて「法定基準の調整・代替を可能とする」とは、法定の最低基準の例外をも認めるということである。これまでのような個々の規制の見直しではなく、労使合意によるデロゲーションを抜本的に可能にすることが、報告書の本質であり目的である。経団連は、労働時間規制のデロゲーションの範囲を拡大することを提唱しており(令和6年1月16日付・労使自治を軸とした労働法制に関する提言)、報告書の方向性は、これに通ずる。
(2) 報告書は、労使コミュニケーションの在り方について、労働組合の活性化や、過半数労働組合(過半数組合)のない事業場で選任される過半数代表者の選出方法等の改善が必要であることを提示する(8~9頁、18~19頁)。報告書は、「法定の最低基準の調整・代替」を構造的課題として提示し、これを実現する労使合意に必要な法整備という観点から「労使コミュニケーション」を論じている。このため、労働組合に関する記述も、「過半数組合」に焦点を絞ったものとなっている。
2 「現下の情勢」の捉え方が一面的である
(1) 報告書の情勢認識の主たる点は、次のとおりである。(報告書4頁)
ア キャリアの複線化などが進み、働く「場所」・「時間」・「就業形態」をライフステージ・キャリアステージに合わせて選択できるような働き方を求める労働者も多い。
イ デジタル技術の発展が急速に進み、オンラインでの仕事、デジタルデバイスの普及により働き方や労務管理のあり方が変化している。
(2) しかし、報告書がいう「情勢の変化」を労働基準関係法制の規制緩和に結びつけることには、上記で述べたように重大な問題がある。また、報告書の「働く『場所』・『時間』・『就業形態』をライフステージ・キャリアステージに合わせて選択できるような働き方」とは、テレワーク、フレックスタイム、裁量労働制、フリーランスなどを指すものと考えられる。しかし、これらは、企業側のニーズがあるからこそ、制度化され拡大されてきたものである。それを労働者側だけの要望であるかのごとく述べるのは、実態を見誤った認識である。「労基法の規制を超えて長時間働きたい」という労働者、ダブルワーク(副業・兼業)をしている労働者は存在するものの、その背景には賃金水準の低さがある。「労働基準法の規制を緩めてまで働きたい」という労働者のニーズが存在するとは言えない。【ヒアリング結果1を参照】
(3) 現在、労働者の働き方や労働条件をめぐって問われているのは、長時間労働の規制の欠如、賃金レベルの低さ、正規労働者と非正規労働者の格差である。報告書は、長時間労働の背景にある低賃金の問題に触れていないし、非正規労働者の処遇(雇用の安定や正規労働者との均等待遇)が検討された形跡もない。労働者の働き方や労働条件をめぐる情勢のうち、ごく一部を都合良く切り取り、労基法等の適用除外に結びつけようとする点でも不当である。
3 労働現場の労働基準法違反の実態を見ていない
(1) 組合ヒアリングでは、労働現場での長時間労働や、労働基準法に違反した労務管理の実態が明らかとなった。【ヒアリング結果2を参照】労働現場では、まず長時間労働によるメンタルヘルスの問題で休職が増え(自治労連)、職場の人減らしにより繁忙期に残業が多くなっている(出版労連)例が報告された。また、使用者が、時間外労働の申請を妨げたり、自己研鑽として労働時間であることを否定する例(医労連)や、荷積みの待機時間が労働時間であることを否定し、デジタルタコグラフを休憩時間にするよう指示する(建交労)といった例もある。このように、使用者が労働時間性を否定したり、時間外労働として認めようとしなければ、いわゆるサービス残業になってしまう。さらに、変形労働時間制をとりながら、シフトが前日になっても分からないという例(建交労)では、変形労働時間制を悪用して要件を満たさない結果、時間外労働に対する割増賃金未払が発生することになる。加えて、就業規則を周知せず、就業規則を見たことも無い労働者が多数いるという実態もあった(建交労)。
(2) 労使合意による労基法等の適用除外は、こうした法令違反の状態を拡大し、合法化する途を開いてしまうものである。労働現場で求められているのは、労働者の権利、生命・健康を守るため、使用者に現行の労働基準関係法制を厳格に遵守させ、法違反を解消していくことである。それが、労働現場の実態を知る労働組合の切実な要求でもある。逆に、現行法の規制を適用除外していくべきとのニーズは存在しない。ヒアリングに応じた労働組合は、いずれも、労使合意による法の適用除外には反対であった。「今ですら労働基準法が遵守されていないにもかかわらず、デロゲーションはそのような実態を合法化するものであり、国の責任を丸投げするだけである」(医労連)、「36協定の特別条項によれば十分との認識である」(新聞労連)等の意見が出た。労働現場を熟知する労働組合が、反対意見で一致していることからも、導入のニーズが存するとはいえない。
4 「最低基準」を定める強行法規に労使合意で例外を認めることは出来ない
労働基準関係法制は、労働者の生命・健康を保護するために、使用者が遵守すべき「最低基準」を定めた強行法規である。その規制に「労使合意」により例外を認めることにすれば、現行法の労働者保護機能を縮小し、労働者の生命・健康を損なうことにつながり、許されない。報告書の挙げる「情勢の変化」は、「最低基準」を定めた強行法規の緩和を許容するものではない。働き方や労務管理のあり方の変化への対応は、現行法の範囲内で十分可能である。報告書は「現行の法制が複雑である」と述べている。しかし、例えば裁量労働制に見るように、最低基準を定めた労働基準関係法制を段階的に緩和する過程で、例外的な制度を安易に適用させないよう厳格な要件を定めた結果、制度が複雑化してきた面がある。このことを考慮せず、「制度の複雑さ」を理由に、「労使合意による法の適用除外」を抜本的に拡大すれば、労働基準関係法制の本来の趣旨を没却することになる。
5 「過半数代表者」について法整備を行っても法の適用除外は正当化されない
現行法にも、いわゆる36協定の締結など、部分的に労使の合意による労基法等の適用除外が導入された制度が存在するが、過半数組合の存しない事業場で労使合意の主体となる「過半数代表者」について、現行法には規定がほとんど無いに等しい。組合ヒアリングでは、選挙も行っていない例(自治労連)、使用者が都合の良い者を指名している例(建交労)、選挙をしてもその選出に使用者が影響を及ぼしている例(医労連・出版労連)など、選出方法が杜撰な事例が上がった。【ヒアリング結果4を参照】このような実態を見れば、「過半数代表者」の選出や活動について法整備をすること自体は必要である。しかし、過半数代表者に関して法整備を行ったとしても、「最低基準」を定めた強行法規である労働基準関連法制に、「労使自治」の名の下に適用除外を認める危険性がなくなるわけではない。法整備により、法の適用除外の拡大を正当化する根拠・基盤が備えられるとは言えない。
6 職場の少数組合への考慮を欠いている
(1) 当協会が組合ヒアリングを行った労働組合には、職場の過半数を組織するに至らない少数組合が多い。組合ヒアリングで「労使関係(各職場での使用者と労働組合の関係)における現状の課題」を質問したところ、使用者が労働組合を敵視する(自治労連等)、団体交渉を使用者が嫌がり労使協議の形式にしようとする(新聞労連)、組合加入者を減らそうとする(化学一般)等の例が報告された。【ヒアリング結果3を参照】また、職場における過半数代表者については、過半数代表者に選出された者が、他の労働者や少数組合の意見をきこうとせず、使用者の出した36協定案等にそのまま同意してしまい、役割を果たしていないという指摘もあった(出版労連)。【ヒアリング結果4を参照】職場の少数派である少数組合が、使用者から、まともに労使コミュニケーションの相手として扱われていない実態が、ヒアリング結果に表れている。
(2) 報告書は、過半数組合・過半数代表者への支援策を挙げる。労働時間内の活動時間の確保、使用者からの必要な情報の提供、意見集約のための労働者へのアクセス保障などの便宜供与などである。労基法等の適用除外を実現する労使合意の主体という観点から論じている結果、支援の対象は過半数組合と過半数代表者のみとされ、少数組合については何も言及されていない。少数組合は、職場の過半数を組織するに至らないとはいえ、労働三権を保障された労働組合として、使用者との団体交渉等により、職場の労働者の権利保障を図ってきた存在であり、労使コミュニケーションにおいて無視されてはならない。報告書は、少数組合の組合員は、過半数代表者として選出されることや、多数派組合になることを目指して運動することが本筋として、少数組合に対する支援を制度設計に含めない立場と考えられる。しかし、少数組合があっても、使用者が選出過程に介入するなどして、その組合員が過半数代表者になることが出来ないのが実態である。【組合ヒアリング4を参照】過半数組合や過半数代表者が、職場の労働者の意見を民主的に集約し、少数組合の労働者の意見をも反映させた上で労使合意を行うとは限らない。一方で、組合が併存する下で、過半数組合が使用者と一体となり少数組合を攻撃した歴史があり、過半数組合・過半数代表者が安易に使用者の提案に同意して、生命・身体等労働者の権利を損ねる危険もある。報告書は、「過半数組合についても過半数代表者と同様の扱いをする必要がある」、「過半数組合に対する便宜供与については、労働組合法に規定する支配介入等の規定との関係を明らかにする必要がある」(23~24頁)としている。過半数代表者と同様の便宜供与を過半数組合に与えることは、自主性阻害の危険は小さく、労使コミュニケーションを活性化する意味で必要であり、支配介入等に当たらないとの立場と推測される。多数派組合に対する情報提供や便宜供与が禁止されないならば、少数組合に対して同等の措置をとることも、自主性阻害の危険は少なく労働組合法上可能と考えられる。
過半数代表に係る法整備は上記2で述べたとおり必要であるが、こうした法整備を進めたり、過半数組合・過半数代表者の支援策を設けたりするに当たっては、職場(事業場)において少数組合の意見を民主的に集約し、反映させる方策が合わせて検討されねばならない。具体的には、少数組合に対して、使用者から、過半数組合に対するのと同等の情報提供を行うことが最低限必要である。少数派労働者の意見を民主的に集約するには、少数組合のみならず、職場の労働者全員に同等の情報提供を行うべきであろう。
第3 労働時間法制の個別課題
1 テレワーク時のみなし労働時間制導入の問題
(1) 報告書は、テレワークには事業場外みなし労働時間制や裁量労働制は厳格な要件を備えなければ適用することができないことや、使用者による実労働時間管理のために過度の監視を正当化したり中抜け時間など実労働時間数に関する労使間の紛争が生じる懸念を指摘し、「テレワーク時の新しいみなし労働時間制」の導入を提示する。(報告書36頁)
(2) しかしながら、テレワークへの対応を契機とした労働時間規制の緩和を促進することは許されない。経団連は、裁量労働制や高度プロフェッショナル制度がそれぞれ複雑な手続きや要件を必要としている現状から、労働時間規制のデロゲーションの範囲拡大を提唱し、労働時間の規制緩和を推奨する(令和6年1月16日付・労使自治を軸とした労働法制に関する提言)。この「テレワーク時のみなし労働時間制」の導入も、経団連の提唱に対応するものであり、テレワークを契機として、なしくずし的に他の働き方にも裁量労働制や事業場外みなし労働時間制等の労働時間規制緩和の動きを広げる意図がうかがえる。しかしながら、裁量労働制で働いている労働者の労働時間はそれ以外の場合よりも長くなっており(令和3年3月25日付・厚生労働省「裁量労働制実態調査の概要」)、労働時間規制を除外することにより、長時間労働を強いられる危険性が高まることは明らかである。また、報告書は、実効的な健康確保措置を設けた上での導入を提案するが、現に80時間以上労働する労働者が医師の面接指導を受けた割合はわずか6.1%であり(厚労省令和5年「労働安全衛生調査(実態調査)」)、健康確保措置が適切に実行されるか否かは不透明である。労働現場では、サービス残業が横行していたり(自治労連)、「残業をしても時間外をつけるな」「仕事が遅いせいだから残業請求するな」などと労働者に時間外労働の申請をさせない実態(医労連)も報告されており、テレワークに限らず、労働時間規制を遵守する意識に欠ける実態が明らかとなった。このような状況にあって、テレワークへの対応を契機として労働時間規制を緩和する動きを労働者全体に広げていくことは許されない。
(3) テレワークの場合、パソコンや社内サーバーのログといった客観的記録を管理したり、業務日報や成果物等の業務実態と客観的な記録との整合性を確認することで労働時間の把握は可能かつ容易である。使用者による労働者に対する過度の監視は必要ない。労基研のために行われた「労働時間制度等に関するアンケート調査結果について(速報値)」(以下「アンケート調査結果」という。)においても、テレワークにおいて「PC、スマートフォン等で労働時間を確認できる」という回答が35.0%と最も多い。他方、労働組合のヒアリングでも、現在テレワークを導入している企業において、労働者の自己申告をもとに労働時間管理を実施しているところが一定数存在した(化学一般)。労働時間の自己申告制を採用する場合、労働者は、上司等から労働時間規制を超えて働くことで注意を受けたくなかったり、人事評価等を気にして、実際の労働時間より過少に労働時間を申告することもあり得る。「アンケート調査結果」でも、労働時間を算定し難い場合について「労働の状況を申告させているが、その真偽を確認することができないとき」が29.2%と2番目に多い回答であった。この点、「労働時間の適正な把握のために使用者が講ずべき措置に関するガイドライン」には、使用者としては、原則的にはパソコンの使用時間の記録等の客観的な記録を確認し、適正に労働時間の記録をすることが望ましいとしている。使用者に客観的に労働時間を把握することができる措置を求めることを検討するべきであり、安易に自己申告制を採用するべきではない。【ヒアリング結果5を参照】
(4) 報告書はテレワークの中抜け時間を強調するが、事業所においてもトイレ休憩、タバコ休憩、私的な会話やインターネットの閲覧等が行われており、実質的に業務の中抜け時間が存在する職場も多い。テレワークに限って中抜け時間の存在を強調し、実労働時間の把握が困難であることを導入の理由とすることは不適切である。むしろ、テレワークには、所定労働時間の終了後に業務を続けざるを得ず、長時間労働となる危険性が存在することに着目するべきである。実際に、テレワークに関する調査(2020年6月30日付・連合)では、通常の勤務よりも長時間となることが51.5%、時間外・休日労働をしたにもかかわらず申告していない回答者が65.1%にも上り、申告しなかった理由は「申告しづらい雰囲気だから」(26.6%)、「時間管理がされていないから」(25.8%)が上位にあがっている。パソコン等の客観的な記録をもとに実労働時間を把握することで、長時間労働を抑制する必要性が高い。したがって、実労働時間にかかわらず、所定労働時間を就労したものとして扱う「みなし労働時間制」を導入することは、テレワークの危険性を無視するものであり、到底許されない。
2 副業・兼業における割増賃金の通算規定除外の問題
(1) 報告書は、「副業・兼業が・・・労働者の自発的な選択・判断により行われるものである」と示し、副業・兼業を行う労働者の多くが労働者のキャリア形成や自己実現の追求等が可能なものであることを前提として自発的に副業・兼業を選択しているかのように表現する(報告書48頁)。しかし、JILPTの「副業者の就労に関する調査」(2023年5月19日付)によると、副業する理由は「収入を増やしたいから」が54.5%、「1つの仕事だけでは収入が少なくて、生活自体ができない」が38.2%などであり、「自分が活躍できる場を広げたい」などの自発的な理由は18.7%にとどまる。副業者の60.1%が「非正社員」であり、33.1%が「非雇用者」であり、「正社員」はわずか6.8%である。これらの調査からすると、まずは副業・兼業は低賃金や不安定な雇用を背景に拡大し、労働者は自らの生活を維持するために副業・兼業を余儀なくされているのであり、必ずしも労働者のキャリア形成や自己実現の追求等のために「自発的な選択・判断により行われている」ものではないことを認識する必要がある。
(2) 報告書では、「副業・兼業の場合に割増賃金の支払いにかかる労働時間の通算が必要であることが、副業・兼業の許可・受入れを困難にしているとも考えられる」と記載し、「賃金計算上の労働時間管理と、健康確保のための労働時間管理は分けるべき」「割増賃金の支払いについては通算は要しないよう、制度改正に取り組むことが考えられる」と提示する(報告書48~49頁)。しかし、副業・兼業が普及・拡大しない要因は、割増賃金の通算の負担だけが理由ではない。労働組合のヒアリングにおいて、副業・兼業の場合、労働時間に限らず様々な面で法律関係は複雑化するため、使用者側が正社員に対して副業・兼業を許可することに抑制的になっている(出版労連)という意見や、他社で働くくらいならうちで働いてほしいと言いながら、8時間を超えた分も割増賃金を支払わないという例(医労連)も報告されている。【ヒアリング結果6を参照】実際に「アンケート調査結果」によると、副業・兼業を認めていない理由として「本社での労務提供に支障が生じる懸念があるから」という回答が79.6%、「情報漏洩の懸念があるから」という回答が25.0%、次いで「労働時間の通算が困難、計算等が面倒であるから」が16.7%となっているのであり、本業への支障を懸念して副業・兼業に抑制的になっている実態がある。したがって、労働時間の通算の負担を強調して、「賃金計算上の労働時間管理と、健康確保のための労働時間管理」を区別する必要はないのであり、現行の労基法に基づいて長時間労働を防止することが何よりも重要である。
(3) そもそも、労基法38条1項は、複数の事業場において労働する場合に、長時間労働から労働者を保護することを目的とする。そのため、長時間労働を抑制するという観点からはむしろ割増賃金の支払いを義務付ける必要性が高く、割増賃金規制だけ通算を否定する合理的な理由は存在しない。副業・兼業の場合に、長時間労働を抑制し、労働者の健康を確保するためには、むしろ割増賃金も含めて通算する現行制度を維持するべきである。
■労働組合ヒアリング結果
令和6年11月から12月にかけて民主法律協会の会員労組(大阪労連、大阪自治労連、新聞労連、医労連、生協労連、化学一般、出版労連、建交労)を対象に、労働現場の実態や労働法制に求めることについて詳細なヒアリングを行った。以下は、ヒアリング結果からの抜粋である。
1 労働者の「労基法規制を超えて働きたい』というニーズについて
【自治労連】
・一部にはある。それは現状の賃金が低いから。歪んだ形で、「賃金が上がらないならダブルワークさせてくれ」ニーズが出てくる。市民の生活や命の問題に繋がる。労働の質低下の問題となっている。
【出版労連】
・若くて、仕事をやりたい思いが強い人には、そういう人もいる。仕事が終わらないからやる、という側面が強い。4人ぐらいのグループで行う業務が1人担当になっていたりする。仕事が増えているのに、会社が人を増やさない。
【医労連】
・事務方や介護士などにニーズがあるのは事実。看護師はそのような声は聞かない。理由は「しんどいから」。介護士も看護師と同様に勤務はハードだが、賃金のベースが低いので、長時間働かなければ生活ができない。
【新聞労連】
・40代以下の組合員については、労基法規制を超えて働きたいというニーズはゼロ。意識調査をして、これだけ働くと死にたくなるということがわかり、我がごととして考えるようになった。裁量労働制では定額働かせ放題となるので、早く帰った方がいい、という感覚。
【建交労】
・あることはあるが、基本給が少ないために、長時間勤務によって収入を確保しようとしている。最低賃金(運賃)保障が不十分なことが問題。
2 長時間労働、労働時間管理の実態について
【自治労連】
・役所は、緊急時以外は所属長が超過勤務を命じるという建前で、人事給与システムによって超過勤務(時間外勤務)が管理できるようになっており、月45時間あるいは60時間に達すると所属長が超過勤務を抑制するといった取組みが行われている。ただし、実態としては、人員不足の中で職員が仕事を終わらせるために、やむなく自発的に超過勤務を行わざるを得なくなっている。
・本庁職場などでも出退勤管理は基本ICカードで行っているが、一回ICカードで退勤としてからその後仕事をする人もいる。
・自己管理できておらず、超過勤務(時間外勤務)の申請をしていないケースや、自宅で仕事を持ち帰る場合には残業として申請せずサービス残業するケースがある。労働者が違法状態に気付いていないこともある。安全衛生委員会では、申請された超過勤務時間だけでなく、出退勤管理システムにより明らかな在庁時間をもとに実態把握にも努めている。特に「名ばかり管理職」は管理職手当が支給されているからという理由で超過勤務手当が認められず、超過勤務の申請を行わないので、実態が見えづらい。
・メンタルヘルスを原因とする病気休暇(上限90日)や病気休職(90日を超えると休職発令され、上限3年)は増えている。長時間労働がその原因。職場が忙しく、先輩に仕事を聞く余裕がない。若い人が辞めてしまう。
【出版労連】
・本がなかなか売れなくなっている。それに伴い人が潤沢にいない状態。経営側は、労働者が退職しても採用をしない、外注する等の方針をとっている。このため、忙しい時期はどうしても残業が多くなり、サービス残業も増え気味になる。
【医労連】
・時間外労働については、職場の上長につけるな(申請するな)と言われたり、自己研鑽を理由に労働時間に当たらないと否定されることが多い。
・使用者側に労働法制の理解がなく、加えて、労働者側も十分に分かっていない。労働法の理解がある労働者は、職場では空気読めないということで淘汰されてしまう。「残業をしても時間外つけるな」、「仕事が遅いせいだから残業請求するな」、「自己研鑽」などと平気で言う文化が強い。時間外の申請の仕方を教えてもらっていないことが多々ある。
【生協労連】
・長時間労働に関して、個配ドライバーが問題となっている。人の移り変わりが多く、毎年100人近い新人が入っており、個配のコースをまだ覚えていないため、長時間労働になりやすい。5年前には一度36協定以上の労働時間になっていたことがあった(現在は改善)。
【建交労】
・待機時間の問題。荷物が積み込まれるまで、運転手が待機する必要があるが、トラックが待機できる場所というのも少なく、道路上で待機すると、当然、ドライバーも乗車していないといけない。待機時間を、休憩時間や労働時間外としようとする使用者も多い。
・デジタルタコグラフ(デジタコ)の不適切管理。待機時間はデジタコ上では休憩時間にしろと指示したり、労働時間外にしようとする使用者がいる。ひどい場合は、使用者が、出発時にデジタコを押させない運用をしている例もあった(この件は近畿運輸局に通報した)。
・変形労働時間制が使用者に都合よく使われ、労働者は、仕組みがわからないまま、受け容れてしまっている。使用者都合でシフトを勝手に決められてしまっている。労働者としては、翌日の仕事のスケジュールも、前日の夕方にしかわからない状態。変形労働時間制を悪用されてしまっている。そのため、変形労働時間制の整備、要件の厳格化が必要だと考えている。労働時間上限規制も回避されてしまっている。
・就業規則が周知されていない会社も多く、労働者は就業規則を見たこともない者が多数。
3「労使関係(各職場での使用者と組合との関係)における現状の課題と考えているのはどのようなことですか。」との問いに対して
【自治労連】
・使用者は労働組合を邪魔だと考えている。組合員が2~3人でも組合があるところとないところでは違う。ある単組では、学童職員が正規3人だけ、その他非正規。それでも、病気休暇を有給に勝ち取って、全員に適用された。少数組合であっても、労使交渉することができることが大きい。
【医労連】
・労働組合は労働者を束ねる力があり、協定などを結ぶ必要がある場合には、労働組合の力を活用できる。しかし、使用者は労働組合を活用しようとせず、労働組合を敵視している。経営者が劣化していて、きちんと労務管理ができていない。
【新聞労連】
・団交をしたがらない傾向が強い。労使協議という形にする。団体交渉に応諾して資料を提供していると言われたくない。徳島新聞では、労働者が労働時間ではない時間に団交をしてくれというと応じてくれない。
【化学一般】
・労使対等になっていないところはある。最たる例としては、会社から組合つぶすといってつぶされたケースもある。新入社員の組合加入率が高い事業所に、会社側が新入社員を配属せず、別のところに配属したのちに当該事業所に異動させるということで、組合加入数が大幅に減少しているケースもある。
4 過半数代表者の選出・活動状況の実態について
【自治労連】
・自治体にも病院職場・水道職場・保健所職場など36協定対象職場があるが、組合員の減少や未組織の非正規職員の増加によって、過半数組合がないことも多くなり、過半数代表選挙も増えてきた。そうなると、当局側の意を汲んだ候補者と選挙となることも。選挙をするだけましで、選挙すらない場合も多い。
【出版労連】
・労働組合のない職場での例―会社が声をかけた人が、ほぼ自動的に過半数代表に決まる(他に立候補なし)。組合員(個人加盟)も立候補するが、会社が声をかけた人に決まっている。その過半数代表者は、36協定を会社に示されても、他の労働者に全然意見をきかない。組合員が問題点を指摘しても何も言わない。会社から出されたとおりに36協定を結んでしまう。
【医労連】
・医労連が労働者代表を出すと使用者としてはうっとうしいので、労働者代表の候補者を別口で立てる。さらに、使用者が管理者を通じて、「選挙に行くように」、「分かってるな」などと言い、医労連の対立候補を選出するよう誘導する。使用者が勝手に過半数代表を選出しているところがある。
【建交労】
・使用者に迎合する者が代表となってしまっている事例があるほか、適切な選出がされず、使用者に都合の良い者が使用者によって一方的に決められている事例がある。口頭で労働者代表となっている事例もある。
5 在宅ワーク・リモートワークの実態について
【自治労連】
・コロナ禍において緊急避難的に在宅ワークを行ったことから、在宅でも可能な業務があることが明らかになった。OpenVPNを設定した在宅用端末の貸出など環境整備もすすみつつある。ただし、勤務時間管理や通信費をどうするかといった課題がまだ整理されていない。
【化学一般】
・在宅やフレックスの場合には携帯管理で自己申告の労働者も多い。自己申告となると本当かどうかは分からない。サブロクの時間を超える部分については退社とやった後にやっている可能性はある。サブロクの上限時間が近づくと、アラームがなり上長にもアラームがなるのでそこで注意がいく。
【新聞労連】
・2020年4月ごろから、在宅ワークの制度作りに労使で取り組み始めた。出勤か在学かを、(会社ではなく)労働者が自発的に選べるような規則作りをしろと要求した。電通が全面リモートとなったことが影響力として大きく、当初「編集会議には必ず出てこい」という雰囲気だった会社も、ZoomやTEAMSなどで出席すれば足りる方向になった。
【出版労連】
・在宅ワーク時は残業を認めない(上長が認めたら○、休日は事前に上長が人事部に言えば残業として○)。労働時間管理は、ほとんどされてない職場もあれば、始業・終業のチャット(スラック)を送る職場もあり。【医労連】
・よく問題になるのが、訪問介護、往診の24時間拘束形態である。夜中の呼び出しに備えて待機することに対する拘束料(手当)が安い。例えば、午後5時に診療終わり、翌朝9時まで待機したとしても1,800円程度である(なお、呼び出しがあれば、事務所に行きタイムカードを押し、再度打刻するまでが通常勤務として算定される)。また、介護では拘束手当がついていないことも多い。さらに、待機中に1時間ほど電話対応したとしても拘束料に含まれているということで追加の報酬はでないことも多い(出ても1件500円程度)。
6 副業・兼業の実態について
【出版労連】
・何年か前に組合員から兼業を認めて欲しいと要望があった。最初組合としては時期尚早と言っていたが、結局要求を出した。何回か出して、いくつかの条件を満たせばOKになった。関西の教科書出版社の場合、他社に雇われることはNG。
・労働時間を通算しない場合、労働者がセーブするしかなくなる。
・ダブルワークの場合、労働時間に限らず、法律関係が複雑になり、難しい問題が発生するのでは(労働者が労災事故で休んでしまった時、事故を発生させた他社に損害賠償できるか等)。
【医労連】
・兼業・副業が自由になると(現状は副業禁止の職場が多いがそれが外れると)、使用者が労働者の生活に責任を持たなくなり、賃金レベルが低下し、労働者は副業をして長時間働くことになってしまうのではないか。
・なお、最近、一つの職場で週40時間働いて、他の職場で働こうとすると、他社で働くくらいならうちで働いて欲しい、でも、追加で働く分について割増賃金は払わない(1.25にはしない)という事案があった。(現時点でもこのような状態)
【新聞労連】
・兼業の場合の通算、有給休暇時間、フレックスタイム制にするときに割り増しの対象になるのか運用がうやむやである。ある単組で副業を認めろという要求を出したが、会社からの回答は「副業をする人間は週休3日、賃金8割」というものであった。相手方会社との合算が面倒なので、なるべくそれをしない方向なのだろう。
【生協労連】
・正社員にはそもそも副業は禁止させている。
・非正規社員には申告させて、8時間以内に抑えるようにしている。
・そもそも労働者が申告しないことが多いと思う。そもそも割増賃金について通算されることを理解していないと思われる。
【化学一般】
・賃金安いから副業兼業のニーズがあるかもしれないが、十分な賃金を支払えばよい。残業をもう少しできるようにすると言ったが、そこまで求めていない。
・最近、会社が副業を認めていないところで、兼業農家をやっているところで法人化した場合に副業兼業となり、農業を辞めたというケースもあった。また、学校の先生は部活を外部委託とするようになり、外部委託として土日に部活を教えに行くのは副業にあたるのか問題となった。少しでもお金をもらえば副業になるのか、副業の範囲が不明確。