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- 本件では、大阪府労働委員会において、「本件降格は経済的のみならず、『音楽家としての評価が低下し音楽家としての将来に大きな影響を受ける可能性があると考えられるので』重大な不利益扱い」。従前の経過から不当労働行為意思もある」と認定されていました昨年1月のことです。
私が所属し演奏活動を続けている大阪シンフォニカー交響楽団(本年4月より大阪交響楽団と改名)というプロのオーケストラにおいて、組合活動を嫌悪する経営者が、熱心に組合的活動を進めていた私の軽微な落ち度を殊更に大きく取り上げ、懲戒解雇の脅しの中、退職強要をした挙句、演奏者の立場としては二段階の降格と月八万円の給与減額を強いてきたことに対する申し立てでした。
翌2月に経営者側は中央労働委員会へ再審査申し立てを行い、またも一年がかりで調査等が行われました。我々音楽家は、コンサートを楽しみに来場頂いたお客様に様々な意味で‘夢’を提供することが生業だと思っております。しかし現実は、辛い気持ちの中、コンサート会場前で私の虐げられた状況をビラに託しお客様に訴えたり、また経営者側の証人喚問時に、日頃共に同じステージに立ち同じ曲を演奏している演奏者がしたことは、府労委のときと同様、私のことをさんざん非難するということでした。
しかしそのような傷心時でも、笑顔で励ましてくれ、共にビラ撒きの街頭に立ち、傍聴に駆けつけてくれるユニオンをはじめ、多くの心優しき方々がいて下さいました。そして心強い弁護士の先生方がいて下さいました。
この度8月23日付で中労委より命令書が届き、主文には『本件再審査申し立てを棄却する。』の一文がありました。委員会の判断としては、約三割もの減収は経済的不利益となるのは明らかだが、二段階降格も楽団員として演奏機会の減少や楽団内外における社会的評価の低下という重大な職業的ないし精神的不利益が生じている。また組合に対しても経営者側は否定的な感情を持ち続け、組合員である私が非違行為等を行ったことを捉え、不利益を伴う行為を行うことで組合活動を抑制し、その弱体化を企てたものと推認できる、と明記して頂きました。
府労委の初審命令を相当とした中労委の判断にとても励まされています。なお、中労委での弁護団は、梅田章二、小林徹也、今春博の各弁護士です。
どのお仕事に就かれている方もそうでしょうが、争議を喜んだり楽しんだりなど出来ません。一刻も早く自分の本業に打ち込みたいのです。傷ついた過去は取り戻せませんが、今日も胸を張ってステージへ上がり、心を込めて演奏します!
- 第1 はじめに
本件は、ビクターサービスエンジニアリング株式会社から個人業務委託業者とされ、ビクター製品の出張修理業務に従事している労働者が、条件改善のため労働組合を結成し、会社に団体交渉を申し入れたところ、労働者ではないという理由で団体交渉を拒否された事案である(事案の具体的な中身については、民主法律時報2008年4月号を参照されたい)。
本件につき、東京高裁は、2010年8月26日、東京地裁判決(2009年8月6日)に引き続き、労働者性を否定した。
第2 東京高裁判決の特異な論理
- 本件判決は、まず労組法上の労働者性判断について、「労働契約、請負契約等の契約の形式いかんを問わず、労働契約上の被用者と同程度に、労働条件等について使用者に現実的かつ具体的に支配、決定される地位にあり、その指揮監督の下に労務を提供し、その提供する労務の対価として報酬を受ける者をいう」とする。
この言い回しは、東京地裁判決とほぼ同じであり、朝日放送事件最高裁判決の説示にも類似するものである。そして、朝日放送事件判決は、就労者が労働者としての保護を受けることを前提に、重畳的に使用者として認めうる者がいるか否かの判断基準として示されたものであるから、本件判決は、全く異なる論点に関する判断基準を借用したものということができる。
しかし、この判断は、第1に、判断が否定された場合でもなお労働者としての保護がある場合の判断基準を、判断が否定されると労働者としての保護から全く外れてしまう場合にも同様に用いるものであり、その違いを安易に無視するものである。
第2に、その判断の根底には、労働者性の問題を「使用者性の裏返しの問題」とと捉える発想があるが、その発想自体が誤りである。労働組合法の定義規定からも明らかなように、労組法上の労働者とは、「賃金、給与その他これに準ずる収入によって生活する者」をいうのであって、法に忠実に従えば、そうした生活者か否かがまずは探求されなければならないのである(これは実質的な概念である)。そして、労働者に該当すればその労働条件等の決定を行う者が使用者とされ、また、重畳的に使用者とされるべき者がいるかどうかが検討され、それらとの間に、労組法上の労使関係が認められるのである。使用者の概念は固定的なものではなく、そこから労働者性を導くことは誤りである。労組法が使用者の定義を置いていないのも故のないことではない。
第3に、本件判決が、裏返しで物事を考えるのは、使用者の意思やその現れである契約形式を労働者性判断に反映させるために都合がよいからである。この点は、使用者の利益を擁護しようとする裁判所の権力的な意思の表れといえる。また、労働者派遣法の合法化直前から、裁判所は使用者概念の形式化を進行させているが、その解釈は労働者概念の実質的解釈とは矛盾するのであり、本件判決は前者の解釈から後者を導くという逆立ちした方法でこの矛盾を解消しようとする試みにでたものである。
- 本件判決は、上記の判断基準について、その「徴憑となる事実、具体的には、労務提供者に業務の依頼に対する諾否の自由があるか、労務提供者が時間的・場所的に拘束を受けているか、労務提供者が業務遂行について使用者の具体的な指揮監督を受けているかなどについて、その有無ないし程度、報酬が労務の提供の対価として支払われているかなどを総合考慮して判断すべきもの」としている。
しかしながら、本件判決は、労働者とは使用者により使われる者というように逆立ちさせているので、第1に、明文規定があるにも関わらず、賃金等によって生活する者という労働者概念の中心的要素を判断要素から全く欠落させている。具体的には、労働条件が一方的に決定されているか否か、当該労務提供による収入によって生活を維持しているか否かといった点を全く考慮しないのである。
第2に、実際の判断でも、使用者が諾否の自由を与えていたか否か、使用者が拘束をしていたか否かなど、使用者による拘束の有無のみを問題とする判断になっている。このような判断枠組みからは、労働者が事実上の拘束されているか否かという検討は出てこない。
第3に、使用者の拘束についても、本件判決は、業務委託契約に基づく拘束というのもあるので、拘束があるというだけでは労働者と認めるべきではないとする。では、労働者としての拘束とは何が違うのか、どう区分するのか。本件判決は、この点、「委託契約に基づく委託者と受託者の関係を全体的に」みて判断するとする。これは裁判所にフリーハンドを与えるものであり、もはや法解釈でも何でもない。
実際、本件判決の裁判官は、この論理を縦横に用い、労働者側の実態に即したあらゆる反論に対して、何らの理由を提示することもなく、使用者の拘束は「委託契約」の趣旨に基づくものであり、労働者とは認められないという結論のみで片付けている。
一例をあげれば、労働実態として、朝から晩まで、一週間ずっと会社の指示する出張修理業務に従事しているとしても、それは委託契約による制約である、業務を受けるがどうかは自由であるし、業務以外の時間は自由であるし、他社の業務を行うのは自由である、だから全体的にみれば労働者でない。こういう調子なのである。この裁判官にかかれば、労働者といえるのは、使用者が労働者と認めるものだけということになる。
- 東京高裁の論理が特異なものであることは明らかと思われるが、この問題の大きさはそれだけではない。
第1に、本件判断は、単に労働法を知らない跳ね上がりの裁判官が行った判断というのではなく、東京地裁・高裁が、組織的に、確信犯的に行っているという点である。この点は、同様の論理に基づく判断が、新国立劇場事件東京地裁判決(平成20年7月31日)、同東京高裁判決(平成21年3月25日)、ビクターサービスエンジニアリング事件東京地裁判決(平成21年8月6日)、同東京高裁判決(平成22年8月26日)、INAXメンテナンス事件東京地裁判決(平成21年4月22日)、同東京高裁判決(平成21年9月16日)で集中的に行われていることからいえる。
第2に、これらの判断は、いずれも都道府県労委・中労委の判断を覆す形で行われており、裁判所が、労働委員会の専門性を全く無視して、自らの見解を押しつけているという点である。労働委員会の存在意義に関わる重大な動きとなっている。
第3に、本件判断の対象となっているのは、労働者としての保護を受けることができるのか否かという労働者の権利・生活にとっての根幹に関わる問題であり、労働運動の存亡に関わる問題であるという点である。
第3 司法反動に対する正面からの対決を
- 労働組合はもちろん学者・研究者もこぞって判断に反対する中で、非常識な判断を繰り返す裁判所の姿勢は、労働分野における司法反動といえる。私たちは、個々の事件判断という認識を捨て、司法権力への対抗として、裁判所と裁判官への批判を強める必要がある。
- また、現在、財界などは「非労働者化」政策を押し進めており、外勤・在宅・管理業務などに従事する労働者を中心に、個人請負化・個人業務委託化を行っている。厚生労働省も、契約形式に基づいて労働法の適用の有無を判断しようとする傾向を示してこれを後押ししている。労働者性に関する司法判断は、ドラスティックな形でこの動きを応援するものとなっている。
事件を抱えているか否かにかかわらず、「名ばかり個人事業主」を根絶しよう! 労働者には労働者としての保護を!の声を大きくする取り組みが必要である。
3 本件の舞台は最高裁に移り、新国立劇場事件、INAXメンテナンス事件と一緒に最高裁でのたたかいとなる。労働組合はもちろん、弁護士、学者・研究者も結束して、この危機を乗り越えるべきである。
- (弁護団 城塚健之、鎌田幸夫、篠原俊一、河村学)
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