2010年5月号/MENU


国は、知ってた、できた、でもやらなかった!
大阪泉南アスベスト国賠訴訟、勝訴判決報告
職場の実態、被害の実情に無理解な不当判決
猛暑の中での草むしりも許される!?
― 中央交通ハラスメント事件
成果主義を背景とするザービス残業にNO
NTT残業代請求訴訟で原告勝訴
堺市立中学校教諭自死公務災害事件


国は、知ってた、できた、でもやらなかった!
大阪泉南アスベスト国賠訴訟、勝訴判決報告
弁護士 谷    真介

  1.  2010年5月19日、大阪地方裁判所第22民事部(小西義博裁判長)において、大阪泉南アスベスト国家賠償請求訴訟(原告29名、被害者26名)の判決言渡しがあった。判決は、アスベストによる健康被害についてはじめて国の不作為による不法行為責任を認め、総額4億3505万円を命じた歴史的なものであった。

  2.  大阪泉南アスベスト国賠訴訟は、アスベスト被害について正面から国の責任を問う初の裁判として、2006年に原告8名で提訴した。その後追加提訴を繰り返し、結審時に原告数は29名になった。なおその後第2陣訴訟を提訴し、合わせると40名を超えている。
     泉南地域は石綿紡織工場が集中的に立地していた全国有数の地域で、石綿紡織産業は戦前から100年の歴史をもっていた。原告らは、石綿が危険だ等とは全く知らされず、前も見えないほどの激烈な石綿粉じんの飛び散る工場の中で生きるために何十年も働いてきた。また、労働者の家族や工場近隣住民も石綿粉じんを浴びた。その結果、数十年といった潜伏期間を経て、じん肺の一種である石綿肺や、胸膜が厚くなるびまん性胸膜肥厚、あるいは肺がん、中皮腫といったがんに侵され、健康を奪われ、命を奪われた。石綿肺は咳や痰の症状が止まらなくなり、また息が切れて呼吸が段々とできなくなる。症状が悪化すると常時酸素吸入器をつける状態になり、最後には呼吸困難で亡くなる。石綿肺は、進行性、不可逆性の病気で、有効な治療法がない。いったん罹患すると絶対に治ることはなく、症状は進むだけである。対照的に、肺がんや中皮腫は、突然死を宣告される。肺も石綿に侵されているため、がんの手術ができるのはまれで、そのほとんどが命を奪われる。裁判中に、1名の原告が石綿肺で、2名の原告が肺がんで亡くなった。
     石綿によりこうした深刻な被害が発生することを、国は戦前から知っていた。昭和15年に、泉南地域の石綿工場労働者を対象に、国の機関である保険院が大規模な調査を行っていた。その結果、対象者に相当程度の確率で石綿肺が発症していることが判明していた。その後、昭和22年には国自らが、石綿肺を労災の対象疾病に指定し、少なくともこの時点で石綿の危険性を確実に認識していたことは疑いようがない事実であった。にもかかわらず、国は石綿の危険性に関するこれらの情報を隠し続け、調査結果を世に出さず、原告らに危険性を伝えることを全くしようとしてこなかった。工場での粉じん発生防止対策についても、技術があったにも関わらず、「あえて」何もしてこなかった。それは、石綿が耐火性に優れているだけでなく、極めて安価だったことにある。建築や造船といった高度経済成長期の産業には、「奇跡の鉱物」ともてはやされた石綿は必須であった。国は、石綿を使用した低コストでの高度経済成長を優先し、泉南地域をはじめとする石綿被害者らの健康と命をその引き替えにしてきたのである。国が国民に対して負っている基本的な責務は、言うまでもなく国民の健康と命を守ることであるが、それを無視した国の行為は、犯罪的ですらあった。

  3.  このような国の犯罪的行為に対し、至極当然の判決が下された。アスベスト被害の原点ともいうべき、大阪泉南の地で、国の不作為責任が認められたのである。これまで企業について責任が認められた判決はいくつか存在するが、国の責任を認めたのはこれが初めてである。
     判決は、国内、国外のさまざまな情報や調査について詳細に認定し、昭和34年の時点で、国にはアスベストに関する医学的、工学的な知見がほぼ集積され、昭和35年の旧じん肺法制定時までに石綿粉じんの抑制措置を使用者に義務付けることが強く求められていたと認定した。そして、労働大臣はその時点で局所排気装置の設置を義務付ける省令を制定せず、全国的に石綿粉じんの抑制が進まず、石綿産業の急成長の下で石綿粉じんばく露による被害の拡大を招き、労働大臣に与えられた裁量を著しく逸脱して違法状態となったと判断した。
     またその後、昭和47年までにはアスベストの発がん性についての知見もほぼ集積され、それに基づいて石綿粉じんを測定することを義務付けた特化則が制定されたが、それには報告や、改善措置を義務付ける規定がなく不十分にとどまったとして、それにより被害の拡大を防止できず、これも労働大臣の与えられた裁量を逸脱しており違法だと認定した。
     さらに、これらに合わせて、国は国民に対し、石綿の違法性について告知し情報を提供する義務をも怠り、これが国の違法をより強固なものにしたと認定をした。
     こうして、昭和35年以降の石綿粉じんばく露者に対して、国の不作為責任を認めたのである。

  4.  一方で、判決は、周辺住民1名については、国の規制権限を根拠付ける法令がなく、また石綿ばく露と健康被害についての因果関係も認められないとして、また労働者の家族1名については石綿ばく露と健康被害についての因果関係が認められないとしてこれら2名の請求を棄却した。
    また、労働者のうち1名については、違法と認められる昭和35年以前の石綿ばく露しかない(昭和34年9月までのばく露しかなかった)として、請求を棄却した。
     これらは同じ石綿被害を被った被害者について、線引きをするものであって、非常に不当なものであった。
     他方、損害認容額については、筑豊じん肺訴訟以降のじん肺訴訟の、国の責任を第2次責任として企業の責任の3分の1に限定する流れを受けず、国の責任を企業との共同不法行為としてその第一時的責任を正面から認め、全損害を賠償額として極めて高額の賠償額を認めた。その点については、本判決は過去例をみない極めて画期的な判決となった。

  5.  このような勝利判決を勝ち得たのは、法廷闘争もさることながら、裁判の両輪としての運動を最大限位置づけ、最終的には裁判所を包囲することができたことにある。本訴訟は、首都圏建設アスベスト訴訟などと異なり、特定の労働組合の支援があるわけではなく、提訴時以来、泉南市民の会という市民組織がバックアップしていたにすぎなかった。その後、弁護団や市民の会が主導になりながらも、一昨年には支援組織「泉南アスベスト国賠訴訟を勝たせる会」(事務局長は大阪民医連の伊藤泰司氏)を発足させ、昨年から30万署名に取り組み、数々の労働組合、公害患者団体、じん肺患者団体等に支援を受けながら、運動を拡大、展開していった。全国から36万の署名を積み上げ、結審後は裁判所前で毎週宣伝行動を行うなど、できることは全てやりきった。その結果、判決行動も、判決当日は大阪で500名、判決翌日は東京で1500名規模の行動を成功させた。このようなアスベスト被害に対する運動による世論の高まりが裁判官を動かし、画期的な勝利判決を勝ち得たのである。このような運動にこれまで様々な形で協力いただいた全ての方々に、感謝の念がつきない。このような勝利判決報告ができたことで、少しは恩返しができたのではないかと、ほっとしている次第である。
     しかし、判決はゴールではなくスタートである。言うまでもなく、国相手の裁判であるが故、判決が出てもそれはイコール解決ではない。控訴がなされると、解決は延び、60〜80代と皆高齢の原告らにとっては、命があるうちの解決が望めないこととなる。原告皆の望みである「生きているうちに救済を!」を実現するため、判決を最大の武器として、現在(本稿執筆、平成22年5月24日現在)、控訴断念に向け国に対して要請行動を展開している。判決後より、原告団、弁護団、勝たせる会のメンバーで、交代で東京に上り、厚労省前での宣伝行動や、官邸前、議員会館前での座り込み行動など全力を尽くしている。控訴期間の2週間、文字通り死力を尽くして戦い抜きたい。
     控訴されるかされないかは現時点ではまだわからないが、いずれにしても、泉南のアスベスト被害に対する全面解決に向け、原告団、弁護団一同、最後まで戦い抜く揺るぎない決意であるので、今後とも皆様の大きな支援を引き続きお願いしたい。

(弁護団は団長・芝原明夫、国賠訴訟主任・村松昭夫、国賠訴訟事務局長・鎌田幸夫、他多数)

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職場の実態、被害の実情に無理解な不当判決
猛暑の中での草むしりも許される!?
― 中央交通ハラスメント事件
弁護士  田 和加子

  1.  中央交通株式会社のバスガイドとして勤務する原告ら4名は、同じ会社の上司である男性A氏から、セクシュアル・ハラスメント及びパワー・ハラスメントを受けてきました。そのため、原告らの所属する労働組合や弁護士を通じて、会社に対し、職場環境を改善するよう申し入れましたが、会社は、これに応じず、A氏による加害行為はやみませんでした。
     そこで、平成20年9月12日、原告らは、会社とA氏個人に対し、不法行為に基づく損害賠償を求めて、大阪地裁に提訴しました。その後、会社とA氏による、この提訴への報復行為が激しくなり、かかる報復行為についても、両者に対し、損害賠償請求を追加しました。

  2.  被告A氏は、もともと原告らと同じ組合に所属し、同組合の執行委員長を務めていましたが、平成19年に、組合を脱退して、管理職(運行課の課長)となり、原告らバスガイドに対して配車の指示を行うガイド係に就任しました。A氏が原告らに仕事の指示を直接行う権限を持つようになったことで、とくにパワー・ハラスメント行為が日常的に行われるようになりました。
     また、前述のとおり、提訴後は、会社やA氏による、原告らに対する嫌がらせ行為が始まり、業務命令という手段を借りて、原告らに本来の業務ではない草むしりなどの清掃業務に従事させたり、不当な配車の仕方をして、得られる賃金を減少させるなど非常に悪質な報復行為を繰り返しました。

  3.  原告ら4名は、法廷で、それぞれ被告らから受けてきた被害内容について、涙ながらに訴え、尋問当時も苦しめられていると、悲痛な心情を述べました。
     しかし、そのような彼女たちの切実な訴えにもかかわらず、去る5月13日、大阪地裁(河合裕行裁判長)は、原告らの訴えを全面的に退ける判決を言い渡しました。判決言い渡し時、原告らも支援者も皆、耳を疑いました。これだけの被害を受けているのに、しかも、その被害は現在も続いているのにどうして? という皆の思いが静まり返った法廷に溢れ出しました。

  4.  判決内容は、正に不当判決としか言いようのないものです。裁判所は、職場における原告らの置かれた立場や状況に全く理解を示さず、個々の行為を一連の行為と捉えることなく分断して検討し、淡々と、しかも、ごく簡単に切り捨てるような事実認定をしました。
     ところで、本件の証拠構造については、加害行為が密室で行われるというハラスメント事件の特殊性から、客観的な物的証拠に乏しく、被告A氏が全面的に否認している本件では、基本的に原告らの体験に基づく供述が重要な証拠となります。そして、原告は一人だけでなく、複数名がそろってA氏から被害を受けたことを述べ、その体験の供述がほぼ一致する行為が幾つかあるにもかかわらず、判決では、この点は看過されたうえ、原告側の証人もその信用性が大した理由もなく簡単に否定され、被告側の供述・証言をいとも簡単に採用して結論づけていました。一読後、何と乱暴な認定だろうという印象を持ちましたが、その印象は確信に変わっていきました。
     また、セクシュアル・ハラスメントに関する認定では、被害に遭ったその場で、或いは直後に抗議するなど具体的な行動に出なかったことが不自然だと指摘されており、これは、まさにセクハラ被害者の心理への無理解さを露呈するものでした。職場の人間関係の中では、その後の仕事のやりにくさなどを按じ我慢してやり過ごすことも多い、セクハラ被害者の行動心理が理解されなかったのは極めて遺憾です。
     一方で、判決は、被告らの対応について、不適切な点があることも指摘していました。しかも、指摘は一点にとどまらず、複数に及んでいました。
     たとえば、叱責の仕方に適切さを欠いているとか、原告らのハラスメント申告に対し、会社の調査の方法が不十分であったとか、「たかが胸触ったとか触らんとか」という当時社長の発言が不適切だったとか、他にも色々、被告側の不適切な行為が挙げられています。しかし、それでも、不適切ではあるが、結論として、違法性までは認められないという論法で終始し、不法行為性はひとつも認められませんでした。
     このように、判決で指摘された不適切な点が幾つも積み重なっていること、それ自体に大きな意味があるはずですが、判決では、各行為ひとつひとつが切り離されて評価され、それほどたいしたことではないと片づけられてしまいました。職場で日々積み重ねられる一連の行為が全体としてみるとどう評価できるのか、その視点からの検討は全くなされず、ハラスメント事件の本質がなおざりにされてしまったのです。

  5.  原告らは、5月20日、本判決を不服として、大阪高裁に控訴しました。今後は、更に十分な検討を重ね、逆転勝訴を目指して闘ってまいりますので、引き続き皆様のご支援ご協力を賜りますようお願い申し上げます。

(弁護団は、雪田樹理、谷真介、坂明奈各弁護士と当職。)

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成果主義を背景とするザービス残業にNO
NTT残業代請求訴訟で原告勝訴
弁護士 四 方 久 寛

  1.  2010年4月23日、大阪地方裁判所は、NTTグループが任意の取組みの名の下に従業員に無償で強制していた「全社員販売」と「WEB学習」の業務性を認め、NTT西日本に対しその業務に対する時間外割増賃金約214万円と付加金60万円の支払いを命じる判決を下した。

  2.  「全社員販売」とは、NTTグループが、従業員に対し、インターネット接続サービスなどNTTグループの商品・サービスや、プリペイドカードなどのNTTグループの関連商品などを、親族や知人に販売させるものである。建前としてはあくまで会社が従業員に協力をお願いするものであって業務ではなく、業務時間外に行うこととされ、行っても時間外割増賃金は支給されないことになっていた。
     また、「WEB学習」は、NTTグループが、従業員に対し、会社の業務に関連するさまざまな分野の知識を、WEBサイト上の教材を使って学習をさせるものである。やはり、建前としてはあくまで各従業員のスキルアップのためのものであって業務ではなく、業務時間外に行うこととされ、行っても時間外割増賃金は支給されないことになっていた。
     いずれも建前としては業務ではなく任意の取組みとされているが、実質的には強制された業務に他ならなかった。すなわち、「全社員販売」については、全社的に決定された年間100万円の販売目標が従業員に折に触れて明示されていたし、「WEB学習」についても、上司から取り組むべき課題が個別に明示されていた。そして、会社は、それらの目標を、2001年から導入されていた成果主義賃金制度において評価基準となるチャレンジシートやキャリアプランシートに記載するよう強く促していた。また、会社は、「全社員販売」や「WEB学習」の進捗状況を細かく把握していた。そのため、従業員は、目標を達成しないと低い評価を受け、賃金が下がるかもしれないとの恐怖感の下、「全社員販売」や「WEB学習」に取り組まざるを得ず、「全社員販売」の目標を達成するため、自腹を切ってプリペイドカードを購入し、それを金券ショップで換金するものも少なくなかった。

  3.  NTT西日本からグループ企業に出向していた原告もまた、成果主義賃金制度において低い評価を受けて賃金が下がることを恐れて「全社員販売」や「WEB学習」に取り組み、疲弊しきって、日本労働弁護団による労働相談ホットラインに相談を寄せたのだった。相談を受けた私は、平山敏也弁護士とともに訴訟の準備を進め、個人加盟の地域労組やNTT西日本の少数労働組合の支援も受けながら、2007年4月、原告在職のまま提訴に踏み切った。
     原告側は、「全社員販売」や「WEB学習」成果主義の評価に用いるチャレンジシート等に会社が示した「全社員販売」や「WEB学習」の目標を書かせ、実質上これがノルマと化していたこと、いずれも進捗状況を会社が管理していたこと、「全社員販売」の利益は会社に帰属していること、原告が従事していた「WEB学習」は原告の本来業務と密接に関係したものであることなど、会社による指揮監督が及んでいたことを示す数々の事実を主張した。また、原告が数年にわたって付けていた詳細なノートによって「全社員販売」や「WEB学習」に従事した時間を立証した。
      裁判所も、原告の主張に真摯に耳を傾けてくれたように思う。しかし、NTT西日本は、あくまで「全社員販売」や「WEB学習」が従業員の自発的な取り組みであるとの主張を崩さず、度重なる裁判所の和解勧告にも全く応じようとしなかった。

  4.  判決は、「全社員販売」、「WEB学習」のいずれについても業務性を認めるとともに、原告のノートの証拠としての信用性を認めて労働時間を認定し、冒頭に述べたとおりの判決を下した。
     判決は、「全社員販売」について業務性が認められる根拠として、@「全社員販売」は会社が利潤を得るための活動であること、A営利企業の営利活動に無償で協力するいわばボランティアがあるとは容易に想定しがたいこと、B会社が年間100万円の販売目標を設定していたこと、C上司がチャレンジシートに販売目標を記載するよう求めていたこと、D販売状況が社内のシステムで把握されていたことなどを挙げた。
     また、「WEB学習」について業務性が認められる根拠として、@原告が取り組んだ「WEB学習」の内容が原告の本来業務に必要な知識に関するものであったこと、A上司が資格取得やWEB学習によるスキルアップの目標を明示していたこと、B上司がチャレンジシートにスキルアップの目標を記載するよう求めていたこと、C「WEB学習」の状況が社内のシステムで把握されていたことなどを挙げた。
     この判決の意義は、特に、@本来業務と関連する学習活動の業務性を認めた点、A成果主義を背景とするサービス残業の強制を認めた点、B日本を代表する大企業に対してサービス残業の是正を求めた点にある。

  5.  この4月から、一定の長時間残業については、従来より重い割増賃金の負担が課せられることになったことは周知の通りである。これによる残業の抑制が望まれるところではあるが、その一方、様々な企業で様々な方法で行われているサービス残業はいっこうになくなりそうもない。
     そんな中、本件は、成果主義を背景とするサービス残業に警鐘を鳴らすものとして、画期的である。NTT西日本は、判決後間もなく控訴したが、一審判決を重く受け止め、本件の早期解決を図ると共に、サービス残業の根絶に努めてほしい。
(弁護団は私のほか平山敏也弁護士)

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堺市立中学校教諭自死公務災害事件
弁護士 下 川 和 男

  1. はじめに
     平成22年3月29日午後1時10分、大阪地方裁判所第809号法廷に3名の裁判官が入廷する。傍聴席はほぼ満席。裁判長が、「主文 地方公務員災害補償基金大阪府支部長が、原告に対し、平成16年12月24日付けで公務外の災害と認定した処分を取り消す。」と宣告した瞬間、それまで静まりかえっていた傍聴席から大きな拍手が起こった。
     「原告の請求を棄却する」の「ゲ」で始まれば「敗訴」、「被告は原告に対し・・・」の「ヒ」で始まれば「勝訴」と思っていたとこと、いきなり「チ」で始まったことから、一瞬何が行ったのかと思っていたところ、主文の「原告に対し」というところまできて、ようやく勝訴だということが分かり、原告席のところで思わず小さくガッツポーズ。
     判決終了後、即座に原告と握手をすると、思わずぐっとくる。

  2. 公務災害申請から本件提訴まで
     教諭は、昭和22年9月生まれ、昭和51年4月から昭和61年3月まで堺市立の2つの小学校で教諭として勤務し、昭和61年4月から中学校教諭として勤務するようになり、前任の中学校で10年間、社会科教諭として勤務した後、平成8年4月、問題の中学校に赴任したのである。
    教諭は、平成8年度は、1年生の社会科を担当するほか、1年生の学級副担任となった。平成9年度は、2年生の学級担任となり、社会科を担当した。
     平成9年5月、教諭は、教師生活において初めて生徒から暴力をうけ、激務の中で同年6月ころ、うつ病を発症し、その後通院をしながら教師としての勤務と続けたが、平成9年11月20日、早退し、そのまま休業となり、平成10年10月18日、自死した。51歳であった。
     平成12年10月16日 公務災害認定請求
     平成16年12月24日 公務外認定(基金支部)
     平成17年 2月14日 支部審査会へ審査請求
     平成19年 5月24日 棄却
     平成19年 6月28日 基金審査会へ再審査請求
     平成20年 5月26日 棄却
     行政段階での公務外の理由は、端的に言うと、教諭も公務が大変だったかも知れないが、同僚にはもっと大変な人がいる、教諭はましな方というとんでもない理屈と教諭が20歳頃に罹患していた精神疾患を捉えて脆弱であるとすることであった。

  3. 本件提訴と訴訟方針
     再審査請求棄却を受けて、平成20年10月17日、大阪地方裁判所へ公務外認定処分取消訴訟を提訴する。
     訴訟の中で、第一に、教諭の勤務する中学校が「荒れた中学校」であったことを詳細に立証し、そうした荒れた中で勤務すること自体、精神的に過重なものであることを、第二に、教諭の労働時間について、学校にいるときだけでなく下校後も自宅などで公務に負われ、労働時間を算出すると大変な長時間労働となることを、第三に、2年生の担任になってからの「生徒からの暴力」「宿泊訓練」「生徒間の暴力」「職員室でのトラブル」「体育祭での出来事」「合唱コンクールの準備など」「漫画事件」などの出来事を、第四に、平成9年6月頃、「うつ病」発症後も、「荒れた中学」であり、他の教員の大変さもあり、本来休職すべきところ通院しながら勤務を続けざるを得なかったことを、第五に、教員を20年も続けており、その間何ら問題なく勤務していることから今回の発症と20歳頃の発症は関係がないことを、詳細に立証することを心がけた。
     同僚教諭及び前任校の教諭、教諭が当時担任をしていた生徒などへの聞き取りなども行い、公務災害申請時からの聞き取り者は、教員延べ68名、生徒延べ15名に及んだ。

  4. 審理の経過
     平成20年12月 8日 第1回弁論(原告の意見陳述)
     平成21年 2月 4日 第2回弁論
     平成21年 3月25日 第3回弁論
     平成21年 5月18日 第4回弁論
     平成21年 7月 6日 第5回弁論
     平成21年 9月14日 第6回弁論(証拠決定)
     平成21年12月 3日 証拠調べ(同僚教諭2名と原告本人)
     平成22年 2月15日 結審(最終準備書面提出・83頁と添付資料4枚)
     平成22年 3月29日 判決

  5. 提出した証拠
    (1) 甲第1号証から甲第31号証までを提出した。次の通りである。
      甲第 1号証の1ないし8  朝日新聞連載記事(原告への取材を元に事実関係が詳細に記載されており、本件訴訟における立証命題が尽くされている。)
      甲第 2号証  公務災害認定通知書
      甲第 3号証  支部審査会裁決書
      甲第 4号証  基金審査会裁決書
      甲第 5号証  原田憲一医師の陳述書(精神疾患の労災認定についての判断基準を明らかにする)
      甲第 6号証  夏目誠医師作成「厚生労働省による労災認定に関する意義と課題、及び対応」( 精神疾患に関する労災認定についての判断基準を明らかにする)
      甲第 7号証  夏目誠医師ら作成「ストレスドックにおける長時間労働とライフイベント」(精神疾患に関する労災認定についての判断基準を明らかにする)
      甲第 8号証  別件教諭自死事件の審査会裁決書裁決書(精神疾患に関する公務災害認定についての判断基準を明らかにする)
      甲第 9号証  教諭を偲んで作成された「やさしき友を偲んで」という追悼文集(教諭の人柄を明らかにするだけでなく、前任校での生き生きした勤務している姿を示すことで、若い頃の精神疾患の影響なく生活していることを立証する)
      甲第10号証  堺市教職員の労働組合の方の陳述書(教諭の勤務する中学校の荒れた状況を立証する)
      甲第11号証  同僚教諭の陳述書(荒れた状況、様々な出来事を立証する)
      甲第12号証  堺市教職員の労働組合の方の陳述書(教諭の勤務する中学校の荒れた状況を立証する)
      甲第13号証  同僚教諭の陳述書(荒れた状況、様々な出来事を立証する)
      甲第14号証  支部審査会口頭審理の発言内容を記載した送付嘱託回答書(支部審査会で発言した、よく暴力を受ける教諭、自宅で作成していた教材プリントの作成にかかる時間、平成9年度教諭の身に起こった様々な出来事を立証する)
      甲第15号証  同僚教諭の陳述書 (宿泊訓練の状況、職員室での椅子押し事件の状況、体育大会直後に教諭が話した内容、漫画本事件直後の教諭の様子、これらの出来事により教諭に非常に大きな心理的負荷がかかったこと、対教師暴力による心理的負荷が非常に大きいことなどを立証する)
      甲第16号証  同僚教諭の陳述書(当時の中学校の荒れた状況、対教師暴力を受けた直後の教諭の様子と対教師暴力により心理的負荷の大きさ、宿泊訓練の状況、合唱コンクールの状況、生徒同士の暴力事件の状況、漫画本事件直後の教諭の様子、2年生の指導方針が統一されておらず連携が不足し問題への対応と責任が担任任せになりがちであったことなどを立証する)
      甲第17号証 同僚教諭の陳述書(原本)(当時の中学校の荒れた状況、体育大会でのタイヤ引きレース事により亡教諭に非常に大きな心理的負荷がかかったこと等を立証する)
      甲第18号証  前任校の教諭の陳述書(発症当時、発症後に教諭から聞いていたことなど)
      甲第19号証  前任校の教諭の陳述書(教諭のプリントの作成にかかる時間の算出を立証する)
      甲第20号証の1 東京大学が調査した教員勤務実態調査(小・中学校)報告書(中学校教諭の残業、持ち帰り残業の実態などを立証する)
      甲第20号証の2 全教作成の教職員の生活・勤務・健康実態に関する調査(中学校教諭の1日あたりの超勤時間、1か月あたりの超勤時間の実態)
      甲第21号証  静岡地方裁判所判決(尾崎事件)
      甲第22号証  東京高等裁判所判決(小学校の養護学級教諭の自殺事案についての公務外認定取消訴訟において逆転請求認容隣、公務起因性の判断基準を立証)
      甲第23号証  最高裁判決(小学校の養護学級教諭の自殺事案についての公務外認定取消訴訟第2審判決を維持し、地方公務員災害補償基金静岡支部長の上告及び上告受理申立を棄却したこと)
      甲第24号証  同僚教諭の陳述書(生徒から暴力を受けることの精神打撃の大きさと、学年団の支えがあれば、その精神的ストレスが緩和されることがあるが、支えがないと一層精神的ストレスが大きくなることを立証する)
      甲第25号証  同僚教諭の陳述書(合唱コンクールの際、教諭が担任をしていた2年7組の様子)
      甲第26号証  原告の陳述書
      甲第27号証の1〜3 地図(2年7組の学級担任として生徒の家庭訪問を効率よくするために事前に準備し、また下見をしていたこと立証する)
      甲第28号証  写真(宿泊訓練において、教諭が深夜まで見張り番をしていた場所において撮られた写真)
      甲第29号証  写真と寄せ書き(教諭が担任をしていた学年が卒業する際に、亡くなった教諭宛にクラス寄せ書きを作成して、原告に交付されたもの、寄せ書きには教諭のプリント授業のことが語られている。)
      甲第30号証の1ないし6 体育祭「ボードアート」資料(体育祭で2年生が「ボードアート」を学年競技として取り組むための資料で、同僚教諭が残していたもの。同様の資料にもとづいて教諭は担任クラスである2年7組の「ボードアート」を指導していた。)
      甲第31号証の1ないし8 学年便り(写し)(学年行事、当時の中学2年生の様子を立証する)

    (2) 被告から提出された証拠(乙1から乙24)も、その大半は、申請段階において、原告らの手によって収集され所属長である教育委員会を通じて基金支部に提出されているもので、乙号証においても反対証拠はないのである。

    (3) 提訴後、同僚教諭や前任校の教諭に一堂に会してもらって、再度様々な出来事について聞いてみると、それぞれの話が触発しあって、目撃情報がどんどん出てくるという状況となり、同僚教諭の陳述書の作成、そして原告及び4名の証人を申請した。
       実際に証拠調べが行われたのは、教諭と同学年の担任であった2名と原告であったが、いずれもその証言態度は誠実で、証言内容の信用性を高めるものであった。

  6. 判決内容
    (1)ほぼ、原告主張通りの認定である。
     @ 背景として荒れた中学校であったこと、教師集団の一貫性・統一性がないこと
     A 学校にいるときは、業務が精一杯で、授業用プリントなど自宅で作業せざるを得なくなっていた。作成時間として、平成9年4月1日から6月14日までで、4500分。6月15日から11月21日までに、10450分
     B 平成9年5月22日、生徒からの暴力
     C 平成9年6月9日から2泊3日の宿泊訓練(大山)
     D 宿泊訓練後、発症
     E 発症後も学校の事情で、休むことができず、通院しながら勤務を継続
     F 発症後の出来事も悪化要因。体育祭、合唱コンクールなど

    (2)公務起因性の判断
     @ 非日常的ともいうべき執務環境の下での勤務自体、客観的に見て心理的負担の重いもの
     A 教師集団の指導方針の一貫性・統一性がなく支援体制がない
     B 教師生活で初めての生徒からの暴力、学校の対応の不適切さ。強度のストレスを伴う
     C 宿泊訓練による疲労困憊
     D 「本件中学校での異常ともいうべき勤務環境に加え、対教師暴力の被害者になったにもかかわらずそれに対する積極的な支援がなく、かえって放置されたともいうべき状況であって、しかもいつ事故がおきても不思議ではない状況下での宿泊訓練で心身ともに強いストレスにさらされたことは、社会通念上、客観的に見て、精神障害を発症させる程度に過重な心理的負荷というに十分である」(判決47頁)
     E 発症後の出来事も強い精神的ストレスの重複を伴うものであったとし、「生徒から教師としての存在をないがしろにされるような出来事が続けざまに起こったことは、社会通念上、客観的に見て、精神障害を増悪されるほど過重な心理的負荷というに十分である」(判決48頁)
     F 公務以外の心理的負荷
        家族関係などには精神疾患を発症・悪化させるストレス要因はない
        既往症(脆弱性 20歳頃の精神疾患)については、「教師として、。20年あまりの間、軽減措置をとられることもなく勤務し、十分な勤務実績を上げていたのであって、・・・反応性及び脆弱性が、教師としての日常勤務に支障を生じさせるほどのものであったとは認められない」(判決50頁)
        また、治療期間の長さについても、休職から死亡まで11か月で不自然に長いということもできない

  7. さいごに
     3月29日判決は、確定した。大勢の支援者の「控訴するな」の意思表示があった。また、国会でも取り上げられ、総務大臣が、「控訴しないと聞いている」と答弁し、行政段階の公務外の理由を批判する発言をし、公務災害認定手続の見直し発言も行われた。たまたま傍聴していた原告に対して、大臣は、お詫びをしたと伝えられている。

 
(弁護団は、松丸正、成見暁子、下川です。)

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