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- 事案の概要
本件は、建設労働者が大手ゼネコン2社(鹿島建設と竹中工務店)を被告として起こした、全国初のアスベスト訴訟である。原告のMH氏は、昭和39年から約30年間、下請会社の従業員ないしその孫請けとして、軽天下地(天井裏の鉄骨の骨組を作る作業)やボード貼りなどの作業に従事した。MH氏は、それらの現場で、作業中に鉄骨に吹き付けられたアスベストを「はつる」などしたため、アスベストを含む粉じんに大量に曝露し、じん肺の一種である石綿肺や、続発性気管支炎(管理2+合併症)に罹患するなどの健康被害を受けたと主張し、3300万円の損害賠償請求を求めた(係属部:大阪地裁第15民事部合議乙係)。この度、勝利的和解が成立したことから、報告する。
提訴は20006(平成18)年2月1日だったが、2009(平成21)年11月6日の和解までに約3年9か月を要した。以下では、その要因と本和解の意義について述べたい。
- 訴訟が長期化した要因
(1)第1に、建設労働者による訴訟特有の問題として、現場特定の問題に苦しんだ。本件訴訟を起こすまで、MH氏の記憶だけを頼りに、3〜4か月間ほどかけて、11人の弁護士が分担し、かつてMH氏が軽天下地などの作業をしたビルを探し求めた。その数は60か所以上に上ったが、訴状では、それらのビルのうち、昭和40年ころから平成9年ころまでに、鹿島建設と竹中工務店が施工したビル37か所を特定した(計算では600か所以上はあったものと推測された)。提訴後も現場特定作業を続け、最終的には54か所にまで増やした。MH氏の記憶では、そのうち鹿島・竹中の現場が約8割だった。
(2)第2に、粉じん職場であることの立証に苦労した。現存するビルについては、ビル所有者に対する調査嘱託を申し立て、その回答に基づき一定の現場では、アスベストの吹き付けの存在やアスベスト含有のボードが使用されていた事実を立証できた。また、当時の同僚に連絡をとり、当時の現場での粉じんの飛散状況等をまとめた陳述書4通を提出した。ただ、訴状等で特定した現場に関するものが少なく、現場の数が少ないことも相まって立証に不安が残った。そこで、さらに実際の建築現場において、粉じんが飛散している状況をプロの撮影会社に撮影してもらい、それをDVDで提出した。それとともに、原告本人尋問においても、法廷でDVDを上映しながら、MHさんに当時の粉じんのひどさや曝露状況、また、当時の建築現場との違いなども含めて証言してもらった。
(3)第3に、予見可能性については、その対象を建設現場におけるじん肺についてとし、旧労基法が制定された昭和22年から予見可能だったと主張した。予見可能性については、建設現場を直接の対象とした法令がなかなか見つからなかったが、実は、1937(昭和12)年に当時の内務省令として「土木建築安全及び衛生規則」が制定されており、建築現場において、粉塵が著しく飛散するため、じん肺に罹患する危険性があるとの明確ね認識の下、その予防のため注水等の防止措置や保護具の支給を義務づけていた。同規則は、弁護団に協力してくれていた大阪市立大学の大学院生が発見したものである。
(4)被告2社は、あらゆる争点について、徹底的に争ってきた。他の現場の存否、また、作業現場ごとに具体的な作業態様、粉じんが発生の有無・程度などについて一貫して原告が主張立証すべき問題とし、建築現場ではじん肺になるほどの粉塵は発生しないし、その予見可能性もなかったなどと主張してきた。被告の応訴態度もあり、現場特定の問題だけで2年以上かかってしまった。
- 和解の内容及び意義
裁判所の強い意向で、本人尋問後の5月以降、MH氏の体調の悪化を踏まえ、和解協議を進め、6期日を費やし、ようやく和解成立となった。裁判所は和解に先立ち、和解にあたって考慮した主な事情として、おおむね原告主張に沿った認定・判断を示した。ただ、マスクをしていなかった点を原告に消極的に斟酌するかのような判断が示されたのは問題といえる。
和解金額は、筑豊じん肺控訴審判決の水準(管理2+合併症で1300万円)を超えるものとなった。また、謝罪条項として、被告らは「心から遺憾の意」を表明した。
この和解内容は従来のじん肺訴訟の水準を超えるものであり、勝訴的和解といえる。裁判所の考慮した事情によれば、原告としての立証のレベルは十分であり、裁判所がほぼこちらの主張を認めたと評価でき、特に、損害額については被告2社が全現場の8割を前提にしても、筑豊じん肺控訴審判決の水準を上回ったのは、近年の交通事故死による慰謝料の高額化や、通常のじん肺とは異なり石綿じん肺は発がんのリスクもあるとの主張を十分考慮してもらえたものと考えている。
大手ゼネコン2社(鹿島建設と竹中工務店)が、全国で初めてのアスベスト訴訟において、従来の水準を上回る和解に応じたことは、今後の類似訴訟に大きく影響することは間違いない。
- (弁護団は、芝原明夫、飯高輝、鎌田幸夫、奥村太朗、向井啓介、芦田如子、岡正人、梁沙織、四方久寛、生越照幸、奥田愼吾)
- 事案の概要
Aさん夫婦は、ご主人が30代後半、奥さんが40代前半で、二人暮らしである。
2008年春、Aさん夫婦は、岸和田市在住の奥さんのお母さんが高齢のため、今までの仕事を辞め、大東市から岸和田市に引っ越した。しかし、ご主人が、中卒で運転免許がないこと、奥さんが、膝の持病があり立ち仕事ができないことから、夫婦共に就職先が見つからず、所持金が数百円になったことから、2008年5月、岸和田市に生活保護の申請をした。しかし、岸和田市は、申請書を渡さず、門前払いをした。
そこで、2008年6月24日、岸和田生活と健康を守る会が同行し、1回目の生活保護を申請した。しかし、岸和田市は、同年7月1日、「稼働能力の活用が図られるため最低生活維持可能」という理由で、却下した。
Aさん夫婦は、依然、就職先が見つからないため、同年7月7日、2回目の申請をしたが、同年7月28日、「稼働能力の活用が図られるため最低生活維持可能」という同じ理由で、却下された。
そこで、Aさん夫婦と岸和田生活と健康を守る会が、十川と相談し、同年9月18日、岸和田市の却下を不服として、大阪府に審査請求をした。
その後も、Aさん夫婦は、生活保護を申請し続けたが、却下され、大阪府は、2009年6月3日、三日に一日の求職活動は、真摯な求職活動とは言えないとして、審査請求を棄却した。
Aさん夫婦は、この間、日雇いや、奥さんのパートで生活をしていたが、それだけでは生活ができないため、生活と健康を守る会に食料の援助を受けた。また、風呂に行くお金がないため、アパートの台所の水で体を洗った。Aさんは、就職先が見つからないことから、一時は自殺することも考えた。
そして、2009年7七月31日、6回目の生活保護申請が認められ、生活保護が開始された。
- 問題点
このように、岸和田市は、Aさん夫婦が、最低生活ができないのをわかっていながら、5回も申請を却下した。岸和田市は、以前、就職先の決まらない50代の独身男性には、生活保護を認めたが、Aさんに対しては、頑なに生活保護を拒んだ。
また、大阪府は、景気が急激に悪化し面接さえも受けられない状況であるにもかかわらず、三日に一日の求職活動は、真摯な求職活動とは言えないとして、棄却した。 Aさんは、面接の交通費を捻出できないため、自転車で行動できる岸和田市周辺しか、求職活動ができないという事情があった。また、ハローワークも、不景気のため、Aさん夫婦に、毎日就職先を紹介することは不可能であった。
- 行政訴訟
Aさんに生活保護は開始され、生活は安定したが、このような処分、裁決を容認すると、若年の失業者が生活保護を受けられない先例を作ってしまうことになるため、2009年11月10日、岸和田市の却下処分の取消、大阪府の裁決の取消、及び損害賠償を求めて大阪地方裁判所に提訴した。同時に、「岸和田市の生活保護申請却下の取消を求める裁判を支援する会」を結成し、初めての集会を開いた。
結成総会では、大阪市立大学教授の木下秀雄先生が、「今回の生活保護裁判の意義」について講演し、大生連、岸和田等から、121名の参加があった。
当初、Aさん夫婦と、岸和田生活と健康を守る会の小林十三夫さんと、十川の4人で始めた審査請求だったが、同じ事務所の西本徹弁護士が加わり、そして、今回、たくさんの支援をいただき、このような会を結成することができ、大変心強く思っている。
行政訴訟からは、大阪の普門大輔弁護士、谷真介弁護士、岸和田の半田みどり弁護士、下迫田浩司弁護士も参加することになり、さらにパワーアップした。
今後は、失業者が、生活保護を受けながら、安心して求職活動ができるよう、全力で訴訟に取り組みたいと思う。
- 本件事故と大学病院に対する責任追及
故前田伴幸氏(以下、被災者という。大学院生医師)は、医局が派遣した他病院というに勤務(宿直)するため、自家用乗用自動車により前日から勤務(緊急手術のため完全徹夜)をしていた鳥取大学医学部附属病院(以下「大学病院」という。)から出勤途中、大型貨物自動車との衝突事故(以下、「本件事故」という。センターラインオーバー等から居眠り運転と考えられる。)により死亡した。
遺族らは大学病院に対し、本件事故は大学病院における勤務によって極度の睡眠不足・過労状態に陥ったため起きたものであるとして、安全配慮義務違反などを理由に損害賠償を求めた。
- 争点と立証方針
@大学院生医師の立場(労働者か否か)、A大学院生医師の大学病院での活動はどのようなものであったのか、診療行為以外の活動はあったのか否か、B他の病院への移動手段として車が不可欠であったのか、公共交通機関の利用が可能であったのかなどが予想され、現にそのような展開になった。
弁護団としては、医局との兼ね合いから、事情を教えてくれる同僚医師は存在しないため、客観的な証拠をもとに主張を組み立てるしかないと判断し、電子カルテ(本件事故の3か月ほど前から試験的に導入されていた)、手術記録、当直記録、業務出張予定(日々の大学病院の業務の割り当てと他病院の出張(当直のアルバイト)の予定表)などを総合的に分析し(同僚の聞き取りができないこともあって労働時間表は4、5回作り直しをした)、脳・心臓疾患の過労死事件と同じように3か月間の被災者の労働時間を可能な限り再現し、本件事故の直前に至る前から、いつ事故が起こってもおかしくない労働実態であるかを浮き彫りにしたうえ、前日から当日にかけて完全徹夜の酷い状況になったことを示すことにした。
尋問において、客観的証拠を足がかりに同僚及び上司から当方の主張する事実を裏付ける証言を引き出すことに成功し、判決はその尋問結果と客観的証拠に沿ったものとなった。
- 判決内容
(1)診療行為の性質の特定は不要
大学院生か労働者か、被災者の診療行為の法的性質を特定する必要はなく、安全配慮義務の発生の基礎となる法律関係及び特別の社会的接触関係があったことは明らかであるとして、被告の責任の有無を検討するに際しては、業務に従事した時間、被告の指揮監督又は指導の実態を検討したうえ具体的な安全配慮義務の内容を特定する必要があるとした。
(2) 実態として他の勤務医と同じ業務を行っているとの認定
被災者の行っていた診療行為などの法的性質を論じる必要はなく、被災者(大学院生)が勤務医と同じ程度に回診、検査結果の見直し、カンファレンスといった業務に従事していたと認定した。
(3) 業務従事時間
被災者の電子カルテのアクセス、同僚の証言内容(22時頃までいるのは普通で、原告の推定方法が21時という推定は控えめと評価でき、少なくとも21時までは業務を行っている)などを総合して、直近3か月の労働時間を算出し、週40時間を超過する時間外休日労働はそれぞれ1か月当たり130時間から200時間程度を認定した。
(4) 質的に負荷のある業務の認定
大学病院の業務内容、大学院生医師の経験の浅さ等から、被災者の従事していた業務が責任と緊張の強い業務であると認定した。
(5) 本件事故一週間前の特に過重な業務
3か月間の業務従事時間が長いなど既に疲労が相当に蓄積した状態で、本件事故前一週間において、手術の数の多さ、当直業務などの多さを指摘し、かつ、事故当日徹夜勤務を行い、仮眠すら取っていないことから、「極度に睡眠が不足し、過労状態にあった」と認めた。
(6) 安全配慮義務違反と本件事故との因果関係の肯定
被告が相当長期間にわたり継続して過重な業務に従事させ、とりわけ一週間前の過重業務そして、翌日に当直のアルバイトを控えている被災者に徹夜の手術に従事させたのであり、安全配慮義務違反を認定するとともに、極度の睡眠不足又は過労のため居眠り状態に陥って本件事故に至ったのであるから、因果関係も肯定した。
(7) 過失相殺
被災者が当日だけでも公共交通機関で移動することは可能、疲労度などについて被災者も予測できた等として6割の過失相殺とした。
- 意義
運転そのものが業務であるトラック運転手等の過労運転による事故による運転手の怪我や死亡について会社が安全配慮義務を認める裁判例は存在したが(御船運輸事件・大阪高裁平成15年11月27日判決・労働判例865号13頁、サカイ引越センター事件・大阪地裁平成5年1月28日判決・労働判例627号24頁)、本件のように医師(大学院生)の次の勤務先(宿直・大学病院が紹介する病院)の通勤途上での交通事故について使用者の責任を認めたのは初めてであろう。
鳥取地裁判決は、業務実態と医局が当直を取りまとめ、系列病院に医師を派遣する役割の重要性等をきちんと踏まえたうえ、安全配慮義務を認めたものである。
強い意思・確信を持って非常に困難な裁判に挑み、戦い続けた一人であるお父様が判決前に亡くなられてしまったのは非常に悔やまれるが、その意思によって(関西医科大の研修医事件から連綿と繋がる事件であることが裁判例や法理論上からだけでなく人間的な繋がりの面からも言えた。このことは「医者を殺すな」(塚田真紀子氏著・日本評論社・88頁以下)で取り上げられている。)この勝訴判決が生まれた。
関西医科大研修医事件で研修医の前近代的な奉仕の強制のおかしさがクローズアップされ、万全ではないとはいえ研修医の待遇が改善されたが、「大学院生医師」はその後も放置され、もっと悲惨な状況(学費を払い、学生なので、いくら働いても無給)が続いており、その結果がこの事件に繋がり、そのおかしさに関西医科大の研修医のご遺族にお父様らが会いに行ったのがきっかけであることが上記著書に記載されている。
今回の判決をきっかけに大学院生医師をはじめ勤務医らの待遇が少しでも改善されることを望む。
- (弁護団 松丸正弁護士、波多野進)
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