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- 事案の概要
8月6日、ビクターサービスエンジニアリング事件で、東京地裁19部で労働者性を認めた中労委の救済命令を取り消す不当判決があった。
事案の概要と訴訟の経過を要約すると次のとおりである。日本ビクターの子会社であり、ビクター製品の修理等を業とする会社において、設立当初より「代行店」という名称で、顧客宅への出張修理業務を担当してきた労働者が、繰り返される報酬割合の引き下げに対して、生活を守るために、全日本金属情報機器労働組合(以下「JMIU」という。)の傘下の組合を結成し、最低賃金保障などを求めて団体交渉を申し入れたところ、会社より「雇用する労働者」でないとして団体交渉を拒否された。組合は、2005年3月29日、大阪府労委に対して団交拒否を理由とする不当労働行為救済申立を行い、2006年11月17日に大阪府労委で、2008年3月25日で中労委で、それぞれ救済命令を勝ち取ったが、会社から中労委(国)を被告とする取消訴訟が提訴され、組合は補助参加していたというものである。
- 判決の2つの場面における問題性
この敗訴判決は、2つの場面で極めて大きな問題性を孕む判決である。
第1の場面は、労働法学の基礎理論(労働法原理)との関係である。何故なら、この訴訟の主たる争点が、代行店が労組法で保護される「労働者」か否かという労働法にとって最も基本的かつ根本的な概念を問うたものであり、それだけに労働法をどのようにとらえるのかという裁判官の価値観(イデオロギー)が如実に出ることになったからである。判決は、従来の労働法の通説的な考え方を全く否定し去ったものといってよい。裁判官の頭(価値判断)のなかには、生存権理念に基づく労働法原理や従属労働に対する配慮など片鱗もなく、市民法原理の延長上からしか事案を見ていないのではないかと思われる内容である。これは、労働法に対する無理解からなのか、あるいは意図的なものか。弁護団は後者であると考えている。そこで、弁護団の城塚弁護士は「労組法に対するクーデター判決」と評している。しかし、これは突如起きたものではない。この傾向は、同じ東京地裁19部で中労委の救済命令を取り消した新国立劇場事件判決(平成20年7月31日)が出されるなど、かなり以前から深く進行していたとみるべきであろう。それだけ問題の根は深い。我々に警戒感が足りなかったというしかない。
第2の場面は、労働現場への影響である。昨今、派遣切りや期間雇用の雇止めなど、非正規雇用の劣悪で不安定な雇用が社会問題となった。しかし、非正規も労働者であるかりぎり、労働法の保護があり、雇用の場面では解雇法理の適用はあるし、失業保険も支給される。他方で、純粋な請負・委任の場合は、労働法の保護は及ばず、失業保険もない。問題は、実質は労働者でありながら、請負・委任を「偽装」するという実態が広がっているということである。実質は労働者でありながら、労働者としての基本的人権である団結権や団体交渉権を奪われ、名実ともに無権利状態におかれているのである。本件は、まさに「偽装」個人請負であり、今回の判決のように「労働者性」を極めて狭く解すれば、このような「偽装」が広範囲に「合法化」されてしまうことになる。ことに、派遣の規制が強まってくれば、使用者側が、今後、期間雇用や請負形式にシフトしてくることは当然予想されることであり、事態はますます深刻となる。労働者、労働組合に判決に対する怒りの声を上げてほしいと考える所以である。
判決の問題点は、事実認定、事実(証拠)評価、法の適用など多面にわたる。ここでは、判決の労働者性の法的判断の問題点に絞って論じたい。
- 東京地裁判決の「労働者性」の法的判断の問題点
(1)労働基本権の意義と従属労働の実態の無視
第1の問題点は、労働基本権が何故認められるのか、労働の従属性とは何か等についての洞察が全く欠落していることである。憲法28条が「勤労者」に労働基本権(団結権・団体交渉権・団体行動権)を保障したのは、使用者に対して従属的な地位にあり、労働条件決定や経済的地位向上のためにはこれらの権利保障が必要だからである。従って、労組法で保護される労働者(同法3条)は、使用者との関係で従属関係におかれ、そのために団結権等の保護を必要とする者であるといえる。ここでいう労働の従属性とは、@人的従属性(事実上の使用従属関係にあること)、A経済的従属性(交渉上の弱い地位のために契約内容を一方的に決定される)B組織的従属性(企業組織への編入)にわかれる。もっともAとBの従属性については、労働契約特有のものではないという見解もあり、前述した新国立劇場事件東京地裁判決も、Aの経済的従属性を労働者性の判断要素としないとした。今回の判決は、すべての従属性について、次のような驚くべき判示をしている。
まず、判決は、組織的従属性について、代行店が会社の修理業務を恒常的に担っており、会社が業務上の必要性に応じて随時利用できる労働力として企業組織に組み込んでいることを「委託契約に基づいて処理する修理業務が会社の業務計画を構成する一部になることは当然のこと」とし、また、代行店が、正社員と同じ「行動規範」を渡され「サービスマン」と呼ばれ、同じ制服、社員証を着用し、会社の一員として修理業務に従事していたことを「顧客との関係のための措置にすぎない」とし、いずれも「代行店が企業組織に組み込まれていると表現するのは適切でない」とした。判決は「組織的組み込み」の実態を否定できないがために「表現するのは適切でない」とごまかしたものであろうが、要するに「委託契約」であるから組織的な組み込みを認めないと言っているに等しい。
次に、経済的従属性について「委託契約書及び覚書のいずれもが会社において作成したものであったとしても、これについて代行店が合意しており、その意思が反映されたものとなっている以上、委託契約の内容及びそれに基づく修理業務の内容が会社により一方的に決定されたものということはできない」とした。判決は、本当に個々の代行店が、会社との対等な関係で交渉できたとでも考えているのだろうか。代行店は、労働力を売って賃金を稼がないと生きられず、売り惜しみができないがために、圧倒的に優位な立場にある会社が一方的に提示した条件(報酬割合の切り下げ等)を甘受せざるなかったにすぎない。それゆえにこそ不対等を是正し、実質的な対等を実現するために団結権が認められるべきなのでる。判決は、かかる実態と団結権の意義を無視している。
最も問題なのは、重要とされる人的従属性の判断である。判決は、個々の依頼の諾否の自由について、代行店の1日の受注可能件数が、過去の実績などから8件と定められており、その枠内であれば、代行店が個々の出張修理の依頼を拒否できないことを認定しながら、代行店が「会社からの発注の拒めないのは、代行店が提示している受注枠内の発注がなされているためであり、代行店に受注の諾否の自由がないことによるものではない」とした。この判断は、新国立劇場事件判決をさらに悪くした内容であり、悪意さえ感じる。そもそも1日8件の枠は過去の業務量や実績から平均件数として会社が目安としているものであり、代行店が提示したものではない。また、代行店が個々の修理依頼を拒否できないのであれば、まさに労働力の処分につき指揮命令の権能を有しているというべきなのである。
(2)労働者性を契約形式ないし主観から判断する誤り
第2の問題点は、契約形式や当事者の主観から労働者性を判断していることである。
判決は、「本件委託契約書の内容によれば、本件委託契約は、原告が代行店に対し、その契約期間中、原告の業務である修理業務及びそれに付帯する業務を委託するというものであり、継続的な業務委託についての基本契約に当たる」とし、他方で「会社と本件業務委託契約を締結した個人代行店において、本件委託契約が上記内容のものと異なる契約であるとの認識を有していることを認めるに足りる証拠はない」とする。そして、判決は、契約形式の「業務委託契約」から全て出発し、使用従属と判断すべき諸要素を「業務委託契約上」の義務履行であり労務管理上の指揮監督ではないとし、説明がつかなければ「便宜上のことである」と切り捨てている。しかし、当事者が選択した契約形式によって労働法の適用の有無を決めてはならず、あくまで実質的・客観的に判断するべきあることは労働法の定説といってよい。当事者の主観や契約形式を重視することは法の脱法を許すことになるからである。判決は、労働者性判断のあり方の根本を踏み外すものである。
(3)労働者性の判断基準の誤り
第3の問題点は、労働者性の判断基準について「労働契約上の被用者でなくても、労務提供を受ける者から、被用者と同視できる程度に、その労働条件等について現実的かつ具体的に支配、決定されている地位にあると認められる場合」としている点である。
この基準は、朝日放送事件最高裁判決(最高裁平成7年2月28日)を意識したものである。しかし、同判決は、労組法上の労働者であることが明白で、かつ、形式的な使用者が存在していることも明らかな事案について、その使用者とは別の使用者に対して労組法上の使用者としての責任を追及できるかという争点にかかる判断であり、本件とは全く事案が異なる。また、判決では、上記の判断基準が本件において具体的にどのように適用されたのかも明らかでなく、不可解という他ない。おそらく、判決が、労働者性に関する唯一の最高裁判決である中部日本放送事件判決(昭和51年5月6日)の引用を避けたのは、その判断基準(要素)では、本件で労働者性を否定するのが難しかったからではないかと思われる。
- 最後に
弁護団では、東京高裁での逆転勝利を目指して、労働法学者、同じ労働者性を争点とする新国立劇場事件、イナックス事件の弁護団と共同検討会を行う予定であり、また、現在、全国的に補助参加人代理人を募っている。JMIUも東京地裁への抗議行動や東京高裁宛の署名要請などの世論に訴える運動を始めている。会員の皆様にも是非、ご支援、ご協力をお願いしたい。
- (弁護団は、城塚健之、鎌田幸夫、篠原俊一、河村学)
- 事案の概要
ある中間管理職の自殺が、今年6月、労働基準監督署で過労自殺として労災認定されたことを報告したい。 事案は、次のようなものである。
Xさんは、某大手メーカーZ社の専属下請けであるY社のA事業所の所長であった。
ところが、Z社が不況の影響で、Y社に対する発注業務を一部内社化したため、A事業所の受注業務量が半減する方針を出した。
Xさんは、事前にZ社の動きを察知し、Y社の直属上司に意見具申をしたが、特に対策がとられることはなく、受注が半減され、派遣社員らを辞めさせざる得なかった。そのため、Xさんは、役員会でY社上層部から叱責された。もっとも、Xさんは、A事業所の業務が減少したので、同時にB事業所の所長も兼務させらることになった。また、Y社よりXさんに特に責任追求や制裁はなく、逆に直後に、昇進した。しかし、Xさんは、真面目で責任感の強い性格のためA事業所の受注業務の減少とB事業所所長兼務による業務量の増加によって不眠が続き、心療内科で「うつ状態」と診断された。その後、Xさんは、心療内科に通院を続けたが、Z社との価格交渉、上司との軋轢、信頼できる部下の転勤などで、うつ状態が進行・悪化し、発症1年4ヶ月後に自殺した。
- 労災申請と認定
Xさんの奥さんが、事務所に相談にこられ、私と野口弁護士で、労基署に労災認定申請をした。
まず、心療内科のカルテを入手した。また、Xさんの会社の同僚で協力してくれる人、Xさんと自殺直前まで交友関係のあった複数の友人、Xさんの奥さん、親戚などから聞き取りを行い、陳述書を作成した。また、Xさんは発症後に克明に日記をつけていたが、そこには、前述した中間管理職としての苦悩が日々生々しく書かれてあった。これらの証拠と意見書を提出し、労基署交渉を行った。そして、労基署に労災申請後8ヶ月後に、労災認定された。
- 今回の労災認定の意義
今回の労災認定の意義は二つある。
第1に、「心理的負荷による精神障害等に係る業務上外の判断指針」の形式的な運用でなく、事案を総合的・全体的にみて労災認定されたことである。労基署は、判断基準の個別、形式的適用ではなく、Xさんの発症前の受注量減少と人員削減、工場長兼務による業務量と責任の増大、そして、うつ発症後のXさんの日記からうかがわれる状況も総合して、労災認定したということである。
第2に、Xさんが、受注減少について、会社からなんらかの制裁(ペナルティ)を受けたことはうかがわれず、逆に昇進していたにもかかわらず、労災認定したことである。
裁判例としては、主任昇格等による心理的負荷と発症前後の長時間労働を総合して、うつ病発症を業務上と認めた例はある(名古屋高裁平成18年5月17日)。しかし、本件のXさんについては、発症前後において特に長時間残業はなかった。このようなケースで労災認定されたことに意義があると思う。
- 最後に
この事件の相談を聞き、また、発症後に本人がつけていた克明な日記を読み、認定基準はともかく、仕事による自殺であることは明らかであるという確信をもった。
現在、長引く不況の中、雇用不安とリストラが進行している。中間管理職が、現場の最先端でリストラを進める際に、会社上部と現場との板挟みになり、強いストレスにさらされていることは容易に推測される。心の病を得たときも、自らがリストラされないために会社に悟られないように黙々と働いている人がほとんどであろう。
今回の認定が、今後に役立てばと思う。
- (弁護団は、鎌田幸夫、野口啓暁)
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