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- バルナバ病院事件とは
大阪上本町近く、バルナバ病院で起こった事件は、企業別労働組合のもつ矛盾がすべて吹き出した事件であった。
産科では高名な病院であり、利用者の声では1、2を争う人気の病院で起こった解雇事件は、きわめて乱暴な整理解雇だった。キリスト教精神に基づき、妊産婦・乳幼児保健保護とその関連教育事業を行う目的で財団法人として昭和16年8月14日に設立された古い歴史をもつ病院であるにも関わらず、「病院経営健全化計画」の名の下に、医事課・外来クラーク・病棟事務などほとんどすべての事務職業務と看護助手業務をすべて外注化し、それらの職種について「自主退職」を求め、それに応じない人たちをすべて解雇(整理解雇)をするという大事件であった。
たまたま派遣研究会で民法協事務所にいた私が最初に電話相談をしてきた方と話をして、その後医労連の協力を得ながら説明会を開催し、32名の「退職者」の中から、6名の当事者が裁判を決意し、提訴に至ったのである。
- 闘わない労働組合、立ち上がれない労働者
本来であれば、労働組合のあるバルナバ病院でこのような事務職だけの解雇を伴う全面解雇などできるはずはなかった。病院経営は、楽ではないのは全国共通だが、バルナバは上本町近くにある不動産資産の売却でもって資産の余裕も十分にある状態だったのだから、外注化方針を打ち出すにしても性急な全員解雇を打ち出さなくても経営が危機に陥ることはなかった。したがって労働組合がきちんと対応していれば、大量解雇など起きなかったのである。経営危機を言われると反対できない企業内組合の弱さと解雇というきわめて重大な権利侵害を守ることの意識の弱さの結果と言わざるを得ない。そして、バルナバ病院労働組合が、全体の利益代表者として運営されないまま、ある時期まで、特定の役員の引き回しや役員間の権力闘争の場となっていた事情も絡まっていたことは後に判明したのだが、それを割り引いても、あまりにも労働組合が闘わず、その結果、労働者が個別権利闘争を強いられたと言わざるをえない。
そして、多くの労働者は、労働組合に失望し脱退し、医労連に参加して裁判をする道をとるものはわずか6名だったのである。
- 整理解雇の無効、仮処分の勝利から一部和解、一部の一審敗訴
病院側提出の資料をみても、あまりにも経営危機のない状態での整理解雇であったため、仮処分では、保全の必要性がないことを理由に1名の請求を却下されたが、異議申立を審理した大阪高等裁判所は、却下された労働者も含め整理解雇の要件である解雇の必要性を否定した。一審で、整理解雇の有効性を認めることはないとの確信を得た。
仮処分事件の後、2名の当事者が退職を選択した和解に応じた。裁判官の和解のすすめを受けて職場復帰の話し合いがなされたが、職場復帰は病院側が全く認めないまま、空転する和解期日が2006年夏から秋にかけて過ぎていった。ところが、2006年、秋になって、病院側代理人が代わるや、整理解雇の主張はそっちのけで、残る4名のうち、女性職員だけを職場復帰させたうえで、男性職員らに対して、能力がないとか、職場での秩序を乱した等という「普通解雇事由」を主張し始めた。証拠調べにおける訴訟指揮も男性側の解雇より1年以上も前の出来事をあげつらう尋問を裁判は許し、「あなたは能力がないと言われてるのをご存じですか?」などというおよそ事実に基づかない尋問がされるなど非常識な尋問も放置する偏頗な訴訟指揮の下で、2007年8月31日になされた一審判決(中山誠一裁判官)は思いがけない結論であった。男性2名について整理解雇は無効、普通解雇は有効で最初の解雇の時から解雇を有効とする、およそ理論的にも、容認しがたい判断であった。そもそも普通解雇できなかったから整理解雇にした男性2名の裁判途中で1年半も後に問題にされた事実を理由に解雇を容認するような不意打ち的解雇を容認すれば労働者はきわめて不安定な立場におかれることになる。担当裁判官は過労死については比較的ましな判決をなしているようであるが、おそらく、過労死のような具体的な過重労働は想像できても、働く職場で労働者が契約解除におびえながら就労せざるを得ないという契約の不安定さについての想像力は持ち合わせていないのであろう。
- 高裁での和解
男性2名はあまりにショックに職場復帰の気力を喪失した。弁護団としては一審判決は必ず逆転できると考えていたので、バックペイのない退職など考えられなかった。この点は相手方も高裁も弁護団の意見と大きな隔たりはなかったため、第1回の口頭弁論直後に和解の勧告を受けて、和解協議に応じ、男性2名は2008年1月31日付けで退職し、病院の解雇から2年半に渡る賞与を除く賃金相当額についてバックペイを受け取る和解が成立した。
一審判決を否定する明確な高裁判決を得られなかったこと、元の職場の労働組合の権力争いに巻き込まれた感のある2人の男性の職場復帰をかなえられなかったことは残念であるが、整理解雇は無効であることは明らかにしえたこと、2名の女性の職場復帰を勝ちとったこと、男性職員らの一審の全面敗訴判決を乗り越える高裁での和解を勝ち取れたことは、重要な成果であり素直に喜びたい。
企業の経営危機に直面した企業別労働組合のあり方について、改めて考えさせられると共に、提訴に際して、受任前から組合と協力し、説明会などを開くなど裁判以前の場面で、弁護士が関わることが重要であることが教訓となった事件であったことを最後に再度付け加えておきたい。
(代理人は、受任前の組合説明会から最後の和解まで、中筋弁護士と私であった。中筋さんには、ねぎらいと感謝の言葉を申し上げたい。)
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