弁護士 西川 大史
1 はじめに
高石市社会福祉協議会に対する残業代請求事件について、2025年2月4日、大阪地裁(長谷川武久裁判官)で和解が成立した。本件は、訴訟に先立つ2023年11月29日の労働審判(審判官:蒲田祐一裁判官)において、当事者の意思に反して、口外禁止を命じる審判を出したことで、その不当性が全国に広がっていた。本和解にはもちろん口外禁止条項はない。
2 事案の概要
Aさんは、高石社協において障がい福祉計画相談支援業務などに従事し、2022年4月からは定年後の再雇用として勤務を続けてきた。高石社協では始業時刻前にラジオ体操や朝礼等を実施していたが、労働時間として扱われていなかった。終業時刻後の残業についても、30分単位での切り捨てがなされていた。また、高石社協は、未払残業代についての交渉中、期間満了を理由として、2023年3月をもって雇止めした。
3 口外禁止を命じた労働審判
Aさんは、早期円満解決のために労働審判を申し立てた。高石社協は口外禁止条項を要望したが、Aさんは口外禁止条項を拒んだ。高石社協では、他の従業員に対しても残業代が未払となっている可能性が高く、Aさんは、公共性が高く、社会的弱者のための組織である社協において残業代未払という違法行為を是正したいと強く願っており、口外禁止条項が付されたのでは高石社協が違法行為を是正しないのではないかと危惧したためである。Aさんが口外禁止条項を拒否したところ、労働者側の審判員から「口外禁止がないと和解できない」との発言があった。口外禁止を阻止するどころか、労働者に対して口外禁止を無理強いした労働者側の審判員の姿勢にも大きな疑問が残る。調停での解決が困難となり、審判委員会は、主文において、「申立人と相手方は、本件に至る経緯及び本件手続の内容(本審判主文を含む、ただし、本件手続が審判により終了したことは除く。)を正当な理由なく第三者に口外しないことを相互に約束する。」として、口外禁止条項を含む労働審判を行った。当事者の意思に反して口外禁止義務を負わせる法的根拠はない。
口外禁止条項は裁判所による「口封じ」であり、表現の自由を侵害するものである。また、口外禁止条項が付されたのでは、使用者による違法行為是正の可能性は低い。口外禁止条項以外の労働審判の内容は、Aさんも満足するものであったが、Aさんは口外禁止条項に納得することができず、異議を申し立てた。
4 高石社協が労働基準法の遵守を約束
和解内容は、高石社協からの解決金に加えて、高石社協が雇用する職員の賃金について労働基準法に従って支払うことを約束することなどを主とする。注目すべき点は、高石社協が、労働基準法に従って賃金を支払うことを約束したことである。事業主が労基法を遵守することは当然のことだが、高石社協がすべての職員の賃金について労働基準法に従って支払うことを約束したことは重要な意義がある。Aさんは、違法行為の是正、職場環境の改善を強く願っていた。自分にだけ残業代が支払われればよいというのではなく、すべての職員に対して残業代を支払ってほしいと願っていた。すべての労働者のために、社協の残業代未払、裁判所による口封じと闘ったAさんの熱意に敬意を表したい。
5 今後の課題
口外禁止条項が蔓延した原因の一つとして、労働者側の代理人弁護士が使用者側の要求に安易に応じてきたことも否めない。労働事件での口外禁止条項は、使用者の違法行為の助長ともなりかねない。Aさんの熱意を見習い、引き続きささやかな抵抗を続けていきたい。