民主法律時報

労働条件の合意がなされないまま更新された労働契約の行方

弁護士 河 村 学

1 問題…有期労働契約の更新に際して、更新後の労働条件について使用者が従前より低い賃金を提示し、労働者が従前同額の賃金を求めたため、明示の合意が成立しなかったが、そのまま就労が続けられた場合、労働契約の成否・内容はどうなるか。一般的にいえば、このような問題の事件について報告する。

2 事案の概要

使用者は一般財団法人アジア太平洋研究所(日本の経済社会や関西地域経済に関する調査研究を行うシンクタンクで、近時では、大阪万博の経済効果の試算などを発表している)である。この法人に、長年にわたって事務職員として就労していた原告ら2名が定年となり、法人に再雇用契約(1年の有期労働契約)される際、法人は定年時の賃金を減額する賃金提案を行った。原告らは定年時と同額の賃金を求め法人と交渉し、原告1名については、再雇用1年目は定年時賃金の約98%、2年目は約84%で合意をした。また、もう1名については、再雇用1年目に定年時賃金の約97%で合意をした。
ところが、法人は、原告らの上記合意後の更新の際に、賃金額をさらに定年時賃金の64%とする提案をしたので、原告らはこれを拒絶し、労働契約書の締結もないままに就労は続けられた。賃金は、法人が減額提案した金額が支払われた。そこで、原告らは、更新前の合意賃金と実際に支払われた賃金との差額の支払を請求した。なお、法人は、減額の理由として、業務量の減少などを主張したが、原告らは、これを争った。

3 争点と本件の解決

更新時に賃金についての明示的な合意がないが就労が継続した場合、どのように考えるべきか。
真っ先に思いつくのは民法629条の黙示の更新である。同条は「雇用の期間が満了した後労働者が引き続きその労働に従事する場合において、使用者がこれを知りながら異議を述べないときは、従前の雇用と同一の条件で更に雇用をしたものと推定する。」と規定しているので、使用者が賃金について別途の合意を主張・立証できない場合、「従前の雇用と同一の条件」で労働契約が成立するということになりそうである。法人は、これに対し、賃金減額の提案が同条の異議にあたると主張した。しかし、同条の異議は文面からも明らかなとおり、あくまでも就労継続に関する「異議」なので、就労が現に継続している以上、法人の主張は通らないはずである。

仮に法人の主張が通るとすれば、契約更新はされず労働契約は成立していないことになる。しかし、これは実態からあまりに乖離した考えであり、労働法制が全く適用にならない就労になってしまう(原告らは賃金請求ができず、せいぜい不当利得返還請求等ができるだけということになる。)など労働者保護にも悖る考えである。ただ、裁判所も法人の主張に同調するような考えを示したので、原告らは、黙示の労働契約が成立しているとの主張をするとともに、法人の主張を前提とすれば雇止めになるので、労契法19条により、法定更新されるとの主張をした。
前者の主張は明示的に賃金額について合意がないもとで賃金額をどう認定するかが問題となり、後者の主張についても、労働者側の主張を退けると無契約状態が生じることに変わりなく難のあるものだが、主張せざるを得なかった。また、後者については、既に類似の事案について裁判例も存在した(アンスティチュ・フランセ日本事件・東京地判令4・2・25労判1276号75頁)。結果的には、原告らが業務の内容やその変化について詳細な立証を行ったこともあって、一定水準の解決金を支払う和解となった。

4 若干のコメント

法的問題点については、弁護団の青木弁護士が、労働法律旬報に掲載予定なので、詳細はそちらを参照いただきたい。定年後再雇用の問題は、日本の賃金決定のいい加減さ、法的規制の乏しさを如実に示す問題である。

 

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