島根大学名誉教授 遠藤 昇三
「解雇の金銭解決制度」についての民法協の総会で決定された方針や決議に、異論がある訳ではありません。当面する緊急の課題であることは、言うまでもありません。しかし、もう少し大きく解雇問題を考える必要があるということで、問題提起をさせてもらいます。
解雇問題の歴史的経過として重要なのは、いわゆる判例法理としての解雇権濫用法理の立法化(当初労働基準法18条の2=2003年、現行労働契約法16条)に至った段階の状況・背景です。大企業・財界は、「解雇ルールの明確化が必要」と称しつつ、解雇権濫用法理により妨げられているところの使用者による自由な解雇権の確立、その一環としての使用者による自由な「解雇の金銭解決制度」の導入が、目論まれていました。大企業・財界が狙ったのは、あくまでも「解雇がやり易くなるルール」の確立であって、解雇権濫用法理の廃棄や金銭解決制度の主張にも、そうした意図が貫かれていました。その意図は、現在でも変わっていません。言い換えれば、今回の金銭解決制度が成立すれば、それで終わりではなく、使用者の解雇の十全な自由の確立が、目指されているということです。2003年当時は、労使の妥協の産物として、解雇権濫用法理の立法化となったわけですが、それにも拘わらず、解雇権濫用法理の生命力は、風前の灯という状況だったと思います。そうしたことを踏まえれば、今現在求められているのは、使用者の解雇権を全般的に制約すること、即ち、解雇は正当な事由がない限り出来ないとする解雇正当事由説(使用者には解雇の自由・解雇権がなく、正当事由があって初めて解雇の自由・解雇権が成立するという見解、その根拠・理由や解雇の法的問題全般については拙著『労働保護法論』日本評論社、2012年、第6章参照)の確立、それを土台とした解雇規制立法の実現です。但し、解雇正当事由説は、労働法学界で未だ極少数説ですので、その確立を待っての立法化要求では、立ち後れると思いますが(従って、以下では解雇規制立法だけに言及します)。
1960年代に成立し70年代に確立した企業社会は、70年代のオイルショック・不況を減量経営とME化で克服していったわけですが、その際「雇用の確保か労働条件の低下か」の選択を迫り、大企業の企業協調的労働組合は、雇用を選択しました。しかし、その抵抗の脆弱性とも拘わって、大企業中心に、いわゆるリストラと称する解雇と非正規労働者の増大が行われました。90年代以降、グローバリゼーションへの対応と多国籍企業(=グローバル企業)化を目指しあるいはそれに必要なものとして、企業社会の再編成ないし解体が進められています。正規労働者の徹底的削減、そのためのリストラが猛威を振るったのです。その意味では、従来の企業社会の重要な支柱である長期雇用慣行は、少数の労働者に対するかつ不安定な慣行に過ぎないものとなっています。しかし、ここで注目したいのは、企業社会とその再編成・解体を通じて、企業・経営の独裁という側面は、全く変わっていません。そして、その独裁を最終的に支えているのは、使用者の解雇権(懲戒権は一層ですが、別に検討・問題提起したいと思っています)です。そして、大企業労働者・その組合が、そのリストラ解雇に立ち向かったという状況にはありません。企業・経営の独裁は、解雇の面で貫徹しています。
そうした状況に歯止めをかける上で、現在の解雇規制では全く不十分です。そこで、ドイツ、フランス等のヨーロッパ諸国並みの全般的な解雇規制立法による、外からの歯止めが緊急に必要となっているように思います。勿論、労働者の利益・権利の拡充に役立つ立法を立法運動として実現することは、それが何であっても、現状の政治状況からすれば一般に困難ですし、ましてや企業独裁の切り札である使用者の解雇権を規制する立法が実現する見通しは、乏しいとは思います。しかし、解雇規制立法を実現しない限り、現状を一歩でも良くする方向に踏み出すことは、不可能です。その立法化への努力を、皆さんに訴えます。