民主法律時報

原爆症認定集団訴訟勝訴判決

                              弁護士  中 森  俊 久

1 2011年12月21日の判決の内容
  2011年12月21日、大阪地方裁判所第2民事部(山田明裁判長)は、原爆症認定集団訴訟近畿第3次訴訟に関し、未認定原告5名のうち4名の却下処分を取り消す勝訴判決を言い渡した。これにより、原告7名中6名までが認定された。1名については、残念ながら、申請疾病に対する治療の必要性がないとして、原爆症の認定にかかる「放射線起因性」及び「要医療性」の2要件のうち、後者の「要医療性」が否定された。
    同判決は、被爆者に対して国が認めようとしなかった入市と残留放射線による広範な被爆と内部被曝による人体影響について、「誘導放射化物質及び放射線降下物を体内に取り込んだことによる内部被曝の可能性がないかどうかを十分に考慮する必要があるというべきであり、加えて、内部被曝による身体への影響には、一時的な外部被曝とは異なる性質が有り得ることを念頭に置く必要があるというべきである」と改めて確認した。このことは、福島第一原発災害による放射線被曝に対してこれまでと異なる抜本的かつ今後長期間にわたる綿密な調査に基づく対策が必要となることを示している。

2 原爆症認定制度と集団訴訟
  いわゆる被爆者援護法は、被爆者健康手帳を持つ被爆者の疾病にいて、被爆者の申請に基づき「原爆放射線に起因して、現在も治療が必要である」と判断すれば原爆症として認定し、医療特別手当を支給する旨規定している。しかし、国は、2003年当時、当時の被爆者約27万人のうち約2200人(0.81%)しか原爆症と認定せず、多くの被爆者による原爆症認定申請を却下していた。そして、それら国の認定行政は、明らかに放射線被爆の影響を過少評価するものであり、被爆者が生き証人として語る被爆の実態とは到底かけ離れたものであった。
    「自分が長らく苦しんできた病気は、原爆放射線の影響であると認めてもらいたい。」「被爆者の声に耳を傾けず、紙切れ一枚で申請を却下するのは許せない」、そのような思いから被爆者が立ち上がり、2003年に集団訴訟(原爆症認定却下処分の取消を求める行政訴訟)が始まり、17地裁に広がりをみせた。そして、2006年5月12日の大阪地裁判決における原告9名全員勝訴をはじめとし、同年8月4日の広島地裁判決、2007年1月31日の名古屋地裁判決、同年3月20日の仙台地裁判決、同月22日の東京地裁判決、同年7月30日の熊本地裁判決と相次いで国が敗訴し、厚生労働大臣が採ってきた「原因確率」論としきい値に基づく原爆症認定基準の根本的な誤りが明確とされた。

3  司法の水準との乖離
  国の連続敗訴の状況に、2007年、安倍総理大臣は原爆症認定基準の見直しを指示し、その結果、2008年4月から「新しい審査の方針」なるものが採用されるに至った。しかし、その方針は、原爆症認定に関し司法が積み上げてきた到達点には到底及ばない内容のものであった。その為、新しい審査の方針によっても認定の対象とならない原告は、訴訟の継続を余儀なくされ、引き続き勝訴判決が積み重なっていく状況が続いた。
  裁判が長くなればなるほど被爆者は苦しみ、死亡する方も相次ぐ中、原告団・弁護団ともに早期の解決を願わずにはいられなかった。2009年8月6日、麻生太郎首相は、内閣総理大臣及び自民党総裁として、日本被団協との間で、「原爆症認定集団訴訟の終結に関する基本方針に係る確認書」に調印した。これがいわゆる「8・6合意」と呼ばれるものである。8・6合意は、集団訴訟の当時の原告306人を対象にしたものであり、原告全員救済(1審勝訴原告に対し国は控訴しない、1審敗訴原告に対し訴訟の労をねぎらい基金により救済する)などを盛り込んだ確認書であり、「厚生労働省と被団協・原告団・弁護団は、定期協議の場を設け、今後、訴訟の場で争う必要のないよう、この定期協議の場を通じて解決を図る。」ことも約束された。

4 何故裁判は終わらないのか?
    今回の判決で、8・6合意の対象となる集団訴訟は実質的に終了したことになる(岡山地裁で敗訴した原告1名につき、基金での救済を放棄して控訴がなされたため、集団訴訟に関しては同1名の訴訟のみが残っている。)。しかし、麻生内閣から民主党に政権移譲された後、国は、定期協議に真摯に臨むこともなく(これまで2回行われたに過ぎない)、認定行政を抜本的に改めようともせず、自ら定立した「新しい審査の方針」すら無視するような認定行政を続け、「今後、訴訟の場で争う必要のないよう、この定期協議の場を通じて解決を図る」という姿勢とは真逆の対応をとるに至った。それは、被爆者に対する裏切りであり、司法に対する侮辱であった。
  その結果、認定基準に関する司法の到達点と行政の運用の間で、現在に至るまで不当な認定却下処分が相次ぐこととなった。かかる国の故意による認定行政の誤りは、被爆者が亡くなるのを待っているといっても過言ではなく、それら状況に甘受できない被爆者は、やはり立ち上がらざるをえなかった。現在、大阪地裁をはじめとして、広島、熊本、札幌、名古屋、岡山地裁にて59名が新規に訴訟提起を行い、再び裁判で解決せざるをえないような状況に至っている。被爆者には時間がない、早期の政治的解決を強く希望する次第である。

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