民主法律時報

裁判所よ歴史の汚点をただす勇気を持て ―神戸地裁・レパ裁判に不当判決―

弁護士 橋 本   敦
  1. 裏切られた老齢原告らの切実な願い
    今や90歳を超える老齢の原告ら3名が「生きているうちに名誉回復を」と、レッド・パージによる60年の苦難の歳月に耐え勇気をふるって提訴したレ・パ裁判の判決が去る5月26日、神戸地裁であった。しかし、その判決では老齢原告らの命の叫びその正義の要求は認められず、法廷には「原告らの請求は全て棄却する」と宣告する裁判長の冷たい声が無情に流れ、満員の傍聴席にも失望と怒りが広がった。
    言うまでもなく、わが憲法が不可侵の基本的人権として保障する思想・良心の自由を真正面から踏みにじるレッド・パージは、わが戦後史の一大汚点である。しかるにこの歴史の汚点をただせぬ不当なこの判決は、共産党を批判する一連のマッカーサー書簡の趣旨はレッド・パージを指示したものと解すべきで、それは超憲法的効力をもち、占領下においては政府も国民もこれに従うべきであって、レッド・パージは有効であり、講和条約締結後もその効力は失われないとして旧来の不当な最高裁決定を何ら反省批判することなくそのまま踏襲した。さらに、レッド・パージの実施について国には犠牲者に対して被害賠償の責任はないと判断した。
    また、原告らの申立を受けて、わが国司法の一翼を担い人権擁護を使命とする公的団体である日弁連が国に対して出した原告らに対するレパ人権救済勧告を裁判所が全く考慮しなかったことにも怒りが湧く。
    弁護団はすぐさま抗議声明を出して、「この判決は、司法の人権救済機能を放棄したに等しいものである。・・・・・本判決の結果は、原告らの人権擁護の最後の砦たる司法に対する期待をまたもや裏切るものとなった。原告らの憤り、深い悲しみはいかばかりか、弁護団はこの裁判所の不当極まりない判決に強く抗議する。」と強く訴えた。
    さらに、日弁連が早速6月3日、宇都宮健児会長の抗議の談話を発表して、これまで2回にわたる日弁連のレパ人権救済勧告に従い、レッド・パージを積極的にすすめた責任がある日本政府がレッド・パージ被害者に対し、被害回復措置をとるようにとあらためて強く要求したのは当然である。
  2. 神戸地裁判決の重大な二つの誤り
    この不当な判決の根底には二つの重大な判断の誤りがある。
    その第一は、レッド・パージについての国の責任を全く認めないことである。
    レッド・パージというわが国の全産業に及ぶこの国家的・社会的大弾圧が政府の積極的関与なしに遂行し得ないことは言うまでもない。塩田庄兵衛都立大学教授は、その著「弾圧の歴史」(労働旬報社)の中で政府と企業によるレッド・パージの歴史的経過を次のように記述されている。
    「レッド・パージは、朝鮮戦争勃発とともに、アメリカ占領軍の勧告と指導にもとづいて、日本政府と経営者の手で、公然と開始されました。まず、新聞放送関係の50社704名を手はじめに、全産業を軒並みに襲いました。
    政府も公務員のレッド・パージを決定し、1950年12月10日現在の労働省調査によると、民間産業のレッド・パージは24の産業部門、537社、10,972名にのぼっています。また、同年11月15日の政府発表によると、政府機関のレッド・パージは、1,171名(11月末現在では1,196名)に達しています。
    レッド・パージの不法を訴えても、裁判所ではほとんど全てが身分保全の申請を却下し、労働委員会も審問拒否の態度をとったため、労働者は法の救済を求める道がほとんど全くとざされました。この大弾圧によって、組合や職場から戦闘的分子が一掃され、これまで労働運動の中に強い影響力を持っていた共産党は、潰滅的打撃を受けました。
    支配者にとって好ましくない思想をもっているという理由だけで、生活権を奪いとる明白な基本的人権侵害の弾圧です。」
    また、本件裁判で証言に立たれた北海道教育大学の明神勲教授は、裁判所に提出したその意見書でもレッド・パージは国の犯罪的不法行為であるという歴史的事実を次のとおり明確にされている。
    「思想・信条そのものを処罰の対象とするレッド・パージは、本来、憲法をはじめとする国内法の容認するところではなく、かつ最上位の占領法規範であるポツダム宣言の趣旨にも反するものであったが、占領下においては超憲法的権力であったGHQの督励と示唆により、それを後ろ盾とした日本政府、企業経営者の積極的な推進政策により強行された。レッド・パージという不法な措置を実施するにあたり、GHQ及び日本政府は、事前に裁判所、労働委員会、警察をこのために総動員する体制を整え、被追放者の『法の保護』の手段を全て剥奪した上でこれを強行したのであった。違憲・違法性を十分に認識し、法の正当な手続を無視したレッド・パージは、『戦後史の汚点』とも呼ぶべき恥ずべき『国家の悪事』であった。」
    そこで、神戸レ・パ裁判は、これまでの裁判と違い、この「国家の悪事」を正面から追及するため、国を被告としてその責任を問い、原告らの名誉回復と損害賠償(被害回復)を求めたのである。
    ところが、本判決は「連合国の占領下にあったわが国においては、政府としてはGHQからの指示・命令に従わざるを得ない状況であったのであるから、本件記録上、政府がレッド・パージを主導して行ったものと認めることは出来ない。」と述べてレッド・パージについての国の責任を全く省みなかった。これは歴史の真実に背く重大な事実誤認であり、故意的な国の責任回避と言わねばならないのであって、断じて容認できない。
    次に、第二の重大な誤りは、最高裁の昭和27年4月2日の大法廷決定(共同通信事件)と昭和35年4月18日の大法廷決定(中外製薬事件)に盲従し、弁護団の主張や明神勲教授の証言を全く無視して真剣に再検証をしないことである。
    その結果この判決は、レッド・パージについての占領軍最高指令官の書簡などは、単なる「示唆」ではなく、国も国民も従うべき「指示」すなわち占領軍指令官の命令であったとして、その超憲法的効力を無批判に容認したのである。
    これらの点について、明神証人はGHQの公式文書の新たな発見によって、マッカーサーのレッド・パージについての書簡や占領軍当局者の発言は、「指示」即ち命令ではなく、単なる「示唆」であったこと、さらに、そのレッド・パージが重要産業にも及ぶことは最高裁決定が言うような裁判所に「顕著な事実」であったとは認められないことを法廷での証言で明らかにした。ところが、裁判所はこれらの重要な事実を全く無視し、最高裁決定に盲従するのみで何ら慎重な判断をしなかった。
    以上のような不当なこの神戸地裁判決について、明神教授が次の通りのコメントを出されていることにわれわれは全面的に賛同する。
    「5月26日、神戸地裁は名誉回復と損害賠償を求めるレッド・パージ犠牲者の請求を全面的に棄却する判決を言い渡した。弁護団は、この判決を『①情、②良心、③正義の微塵も感じられない不当な判決』と批判したが、まさに指摘のとおり不当な判決である。
    裁判所には二つの選択肢があった。一つは、レッド・パージを有効とするこれまでの最高裁決定を、レッド・パージを違憲違法なものとして人権救済の必要性を指摘した日弁連勧告(2008年10月24日)や法廷において原告側が提示した新たに事実と論拠に真摯に向き合うことによって、これを再検証するという選択肢。そして第二に、最高裁決定の検証を完全に回避し、従来の判例を機械的に踏襲するという体制維持の無責任な選択肢。神戸地裁は、残念ながら第二の選択肢に従い、人権救済という責任を放棄した。法廷において提示された事実と道理からすると、レッド・パージをGHQの指令・指示による超憲法的効力による措置で有効とした最高裁決定を見直し、3人の原告を60年間の長きにわたり不当に背負わせ続けられた『重い十字架』から解放することは当然のことであった。しかし、裁判官は最高裁の権威・権力の前に拝跪し、最高裁決定を再検証する姿勢と勇気を持てず、人権を擁護し正義と公正を実現するという裁判官と裁判所の責務を完全に放棄した。
    今回の裁判には、3人の原告の名誉回復を通じて『戦後史の汚点』とも言うべきレッド・パージの誤りをただし、『過去の清算』を通じて人権と民主主義が尊重される人間的な社会への前進が期待されていた。それは未決の課題として、今われわれの前に残された。」
  3. たたかいはここから、たたかいは今から
    そのわれわれに残された「過去の過ちの歴史の清算」という未決の課題、それがこれからの大阪高裁でのたたかいである。
    去る6月9日、3人の原告らは「勝利判決を見ずに死ぬ訳にはいかない。このたたかいはわれわれの生き甲斐。良心と憲法に基づく判決をと大いに訴える。」と述べて大阪高裁に控訴した。
    レッド・パージという戦後史の一大汚点をたださずして戦後史は終わらない。われわれはあらためて裁判所に問いたい。1952年講和条約が発効し、独立を回復して既に60年、それなのにレッド・パージに関する限り、司法権の独立は未だにないと言わんばかりの今回の神戸判決をこのまま許して良いのかと。
    かって大阪市大の本多淳亮教授はレパ容認の最高裁決定について「占領軍当局の巨大な魔手におびえて自ら司法権の不羈独立を放棄したと言われても仕方があるまい。」(「季刊労働法」1977年)と厳しく批判されたが、今も我々はその厳しい批判の手を休めてはならないのではないか。歴史のあやまちをただし、明日に生きる正義と良心の判決をめざしてわれわれのたたかいは続く。

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