民主法律時報

袴田事件の完全無罪判決を勝ち取るまでと再審法の改正に向けて

国民救援会大阪府本部 河角 信治

袴田事件は、1966年6月30日に静岡県清水市のみそ製造業の専務の自宅が放火され、焼け跡から死体で発見された一家4人には刺し傷がありました。元プロボクサーでみそ工場で働いていた袴田巌さんが逮捕されました。袴田さんは、当初は無実を訴えていましたが、警察は連日12時間(最高16時間)にも及ぶ長時間の取調べをおこない、自白を強要し、45通の「自白」調書を作成。 警察は、工場内の寮に住んでいた袴田さんが、深夜に専務宅に侵入し、4人を殺害して工場に戻り、現金を隠した後に放火したとしました。

静岡地裁では、袴田さんは「自白は強要されたものである」と無実を主張しましたが静岡地裁は、袴田さんに死刑判決を言い渡しました。 その後、東京高裁、最高裁で有罪、1980年に死刑判決が確定しました。
1981年に再審を請求し、日弁連が再審を支援し、プロボクサーなどにも支援が広がりましたが、2008年最高裁は再審請求を棄却しました。第二次再審で2014年3月27日、静岡地裁は、袴田さんの訴えを認め、再審開始を決定しました。 あわせて、刑の執行停止、拘置の取り消しを決定しました。 しかし、18年6月11日、東京高裁は再審開始決定を取り消し、再審を認めない不当決定を出しました。

最高裁は20年12月22日付で、再審を認めなかった東京高裁決定を取り消し、審理を東京高裁に差し戻す決定を行ないました。 23年3月13日、東京高裁は「5点の衣類は捜査機関によって捏造された可能性が極めて高い」ことを認め、再審を認める決定を行いました。 これに対し東京高検は特別抗告を断念したため、3月20日、再審開始が確定しました。 静岡地裁で再審公判が始まり、2024年9月26日に無罪判決が出されました。国民救援会も検察の控訴断念署名を集め、大阪の検察庁にも要請に行き、全国的にも国民救援会が各所で宣伝をし、10月10日の控訴期限を待たず、袴田さんの無罪が確定しました。

この無罪判決で3つのねつ造が認定されました。 ①「自白調書」死刑判決の柱の1つは、1通の「自白調書」です。 無罪判決では、これが捏造されたものと初めて判断。 ②「5点の衣類」無罪判決は、犯行着衣とされた「5点の衣類」について、「被告人の犯人性を推認させる最も中心的な証拠とされてきた」としたうえで、それも捏造だと断じました。 ③ズボンの共布(ともぎれ)「5点の衣類」が袴田さんのものであることを裏付ける証拠として、袴田さんの実家から発見された「5点の衣類」のなかのズボンの共布があります。

無罪判決確定後の検事総長の談話では、検察・警察が袴田さんの人生と健康を奪ったことへの反省や謝罪はなく、あくまで犯人であるとの立場に固執しています。袴田さんが長期にわたる法的地位が不安定になっていたことについて、「申し訳ない」と述べるものの、58年間もの長きにわたって苦しめてきた張本人でありながら他人事のような言い草に怒りを禁じ得ません。袴田事件が2014年の再審開始決定から無罪が確定するまで10年もかかったのは再審の法整備がないからです。 現在、国民救援会は再審法の改正を求めて、弁護士会とも協力して、全国的に再審法改正を求める意見書の採択(現在412議会)が広がっています。 この流れを、袴田事件無罪判決を契機に強めていく必要があると考えています。

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