民主法律時報

中国雲南省 麗江 シャングリラ紀行(第5回)

弁護士 福 山 孔市良

3 虎跳峡(コチョウキョウ)からシャングリラへ
 虎跳峡の見学を終えて、シャングリラに向けて出発したのが13時45分。109キロ約2時間の距離である。
 ちょうど1時間でイー族の村のある峠にさしかかる。ここは3,100メートルの地点で、この峠からは左手に哈巴雪山(5,396メートル)、右手に玉龍雪山がよく見える。この峠を少し下っていくと左手の山々にシャクナゲのピンクの花が咲き、山を美しい色に染めている。小休止して写真を撮りたかったが交通量が激しく、駐車するところがないということで車窓から眺めただけであった。結局この峠あたりのシャクナゲ群生が一番で、その後これだけのものは見ることができなかった。残念である。
 今日は天気もよいが、これまでは寒くて山では雪が積もり、高山は雪景色である。
 バスで走っていると、旗を飾っている家々を見ることができる。この旗は家族の中にラマ教の坊さんがいるしるしということである。1本は坊さんがいる、2本は偉い位の人がいる、3本は生仏と、旗の本数でラマ教の中の地位が違うということだ。
 チベット族のタンセツ村に下ってきたところでバスから降りて、道路わきを散策することになった。計画で山野草の咲く山道をハイキングすることになっていたはずが、車の通る車道のわきを歩くことになった。一体どうなっているのか分からないが、チベット族の家々を見ながら1時間程歩いた。こんなことなら先ほどのシャクナゲの咲く場所で休憩した方がましだと思ったが、どうしようもない。道端で女性の村人が、手織りの何かを織っているのに出会った。若い母親が4ヶ月の子どもを抱いているのを見ると、子どもの顔は白くてピンク色の美しさである。ガイドのエンさんは生まれてきた時は白いが、紫外線が強く、大きくなるにつれて黒くなってしまうのだと説明していた。16時にバスに乗って16 時45分、シャングリラの迪慶観光酒店に到着した。なかなか立派なホテルで、18時50分の集合時間まで少し寝ることにした。
 夕食の集合時間に少し遅れてしまう。ホテルのあるシャングリラの町は、3,282メートルの高さで寝ていても疲れてしまう。
 夕食はバスで数分の「観光酒店」という名のレストランに行く。
 主な夕食の内容を書いておくことにする。
 アヒルの丸焼き、キクラゲと豚肉炒め、鶏の炒め料理、トマトと卵、キノコ、ブロッコリー、菜の花のそれぞれ炒め料理、その他、ご飯、スープ、フルーツ。野菜炒め料理が多いので助かるが、炒め料理も毎日ではしんどくなってくる。
 夕食後、風呂に入ってすぐに寝てしまった。

4 香格里拉(シャングリラ)とは
(1) 私は数年前、日航機の機内誌の中で「シャングリラ彷徨―小説「失われた地平線」の人気と謎―」と題する佐藤朝泰という人の記事を見つけて、切り取って保存しておいた。シャングリラについては「地球の歩き方」にもきちんと紹介されているが、この機内誌の中の記事が一番参考になった。この記事を引用しながらシャングリラについて書いておくことにする。

(2) 私達が訪れているシャングリラの町は、少し前は中甸という地名で、少し古い雑誌や案内書は中甸(ジョンディエン)という名で紹介されている。ここは雲南省の西北端、迪慶チベット自治州の首府で、海抜は3,282メートルである。州内には4,000メートル以上の山が470もあり、この中で梅里雪山(カゴボ峰)は6,740メートルの未踏峰で、雲南省の最高峰である。

(3) シャングリラはイギリスのジェームス・ヒルトンが1933年に発表した小説「失われた地平線」(Last Horizon)で描いた理想郷の場所である。この小説は2011年9月、河出文庫から訳本が出ているので、わたしも帰国後読んでみた。
 佐藤朝泰の「シャングリラ彷徨」によれば「中甸県がシャングリラの研究に乗り出したのは1995年のこと」でシャングリラの地理的描写と中甸県とを比較研究したということである。
 「確かに四川省、チベット自治区、雲南省の境に位置する迪慶チベット自治州は、神秘的美しさや原始的自然が豊富で、そしてチベット族や納西(ナシ)族など九つの少数民族が、文化、宗教を異にしながら融和し、穏やかに生活を営んでいる民族風習など、小説に描かれた内容に酷似している」。また「自治州最大のチベット寺院、松賛林寺や梅里雪山など、未踏の険しい山岳など自然の城壁となり古くからのチベット文化と生活習慣が守られてきた」。
 しかし「決め手になったのは語源だという。シャングリラという言葉は、チベット仏教の経典にあるシャンバラ(円満の地の意)が語源であり、小説のシャングリラはその英語読みであるというのだ」
 こうして2002年5月、中甸を改め「香格里拉」県に改称して空港も香格里拉空港に変更された。
 その後、シャングリラ観光がブームになり、毎年新しいホテルがどんどん建築されている。
 
5 普達措(ブタツオ)国家公園でのハイキング
 今日は朝から普達措国家公園の中の属都湖、弥里塘、碧塔海でのハイキングである。
 ここは香格里拉から東に22キロ離れたところにあり、中国で最初の国立公園ということである。観光バスで公園入口まで行き、そこでシャトルバスに乗り換え、最初に着くのが属都湖である。
 この湖は標高3,500メートルの高山湖で、湖畔には約3キロにわたって木板を敷いた遊歩道があり、あとは湖畔に沿ったハイキング道がある。湖のまわりには草原が広がっており、ヤクが草を食べているのが見える。途中、リスが出てきたり、遠くの雪山が見られたりでのんびりしたハイキングである。今年は例年になく寒いためか、まだ高山植物は咲いておらず、紫の花、黄色の花が途中ところどころに咲いているが、初めて見る花か名前が分からない。
 シャトルバスが待っている所でハイキングは終わりで、シャトルバスで3,700メートルの弥里塘まできて、10分だけ下車して写真休憩。またバスで碧塔海まで来て、レストランで昼食になる。
 レストランでの昼食の内容は次のとおりである。
 パパイヤと鶏の蒸し煮、チベットの塩付豚肉、ヤクの肉の蒸し煮、レタス、キャベツ、ジャガイモ、キクラゲ、青菜の炒め料理、大根のスープなどでいつもお腹はいっぱいになる。九州組6人、大阪組6人ともにみんな元気でよく食べる。
 
6 松賛林寺訪問
 昼食後、ホテルの帰り道にある、丘陵地帯にある雲南省最大のチベット仏教寺院を訪れた。
 寺院の創建は明治末期( 17世紀初頭)だが、ダライ・ラマ5世の発願で、1679年から1681年に規模が拡大された。
 文化大革命の時破壊されたが、現在も再建が続けられている。
 雲南のポタラ宮とも呼ばれ、5階建てのチベット式の彫刻建築で、美しく壮大な姿である。ここも入場ゲートから寺院まで約1.5キロあり、シャトルバスで寺院そばまで来ることになる。
 下から見上げるとその大きさがよく分かるが、宮殿までは石の階段を100段以上登らねばならず、なかなかしんどいことである。堂内にいるお坊さんにお布施を出すと、木の実で作った数珠をくれることになっているので、みんなはいくらかずつお布施を出してもらっていた。シンプルないい数珠である。
 寺院全体はまだきちんと修復されておらず、雑然とした雰囲気で、大寺院として周囲を含めて整備されるのは、まだ先のように思えた。
 松賛林寺の見学を終えてホテルに帰り、夕食まで昼寝をする。
 夕食は昨晩と同じレストランで、内容もそれほど変化はない。
 夕食後8時からチベット族の家庭訪問をする。ここではバター茶、白酒、ヤクの焼肉が出されたが、既に夕食後であるのでそんなに食べられない。
 チベット衣装の男女が、歌や踊りを見せてくれる。男女ともすごく高い声で美しい。日頃聞いたことのない発声法で高地のためかチベット族の声がよいのか、びっくりした。
 9時過ぎまでいて帰る。風呂に入ってすぐ寝てしまった。
           

 (つづく)

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