民主法律時報

教育・職員基本条例反対の意気高き御堂筋パレード ―戦前の教育に対する痛恨の思い忘れず―

                    弁護士 橋 本   敦

 3月18日、雨上がりの中之島女神像前の広場から、御堂筋パレードへと2条例反対の熱い市民の声がとどろいた。
 その集会に参加した私には、少年時代に受けた軍国主義教育の日々が思い出され、二度と再び政治権力の教育支配を許してはならないという思いがあらためてよみがえった。
 戦前の教育、言うまでもなくその基本は「教育勅語」(明治  年)であった。その最高の国民の義務は「一旦緩急あれば義勇公に奉じ以て天壌無窮の皇運を扶翼すべし」にあったことは言うまでもない。
 そして、その国民の責務は「軍人勅諭」(明治  年)の「軍人は忠節を尽くすを本分とすべし。・・・・・世論に惑わず、政治に拘わらず、只々一途(いちず)におのれが本分の忠節を守り、義は山獄よりも重く、死は鴻毛よりも軽しと覚悟せよ。」と一体とされた。
 その教育勅語を小学校でも一語の間違いもなく暗記させられたのであった。
 このことを思い返せば、政治の教育に対する不当な支配を許さぬという原則の意義とその重大さが身に迫る。
 ところが、この原則が今くつがえされようとしている。実に重大なゆゆしい事態ではないか。
 民法協は2条例案の撤回・否決を求める声明で「それは教育への政治介入に道を開き、教職員への管理統制を強めるもの」と強く反対しているのは当然である。また、大阪経済大学の丹羽徹教授も「教育行政の独立という戦後教育行政の基本原理からの決別の宣言であり、教育行政を政治による統制の下に置くものである。」と強く反対されている。
 政治の教育支配=戦前の軍国主義教育の重しから国民は容易に解放されなかった暗い日々を今思い返すにつれ、今日の「維新」による2条例は絶対に許せぬという気概が強く湧いてきた3・18集会であった。
 私は、「日本現代史」(岩波新書)第2巻「民権と憲法」の中の次の記述を読み、政治の教育支配がいかに恐ろしいかという戦前の歴史的事実に、あらためて痛恨の思いを深くした。
『それゆえにまた、女子教育では「母の役割」は子どもを健全に育てるだけではすまなかった。一八八七(明治二〇)年の演説で森有礼文相は、教室に掲示すべき「女子教育の精神」をあらわす図として、「子を養育する図」などとともに、「軍隊に入るの前、母に別るる図」、「国難に際して勇戦する図」、「戦死の報告、母に達する図」をあげている。〈国家のために殺すこと、死ぬこと〉を自発的に受け容れる子どもを育てる、これが女子教育の目的なのだった。』
 これが教育として許されるのか。なんとおそろしいことであろうか。
 このような歴史のあやまちは二度とくり返してはならない。その強い思いで政治の教育支配を許すなと明日もまた2条例反対のたたかいに参加する。

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