民放労連朝日放送ラジオ・スタッフユニオン 吉 岡 雅 史
1 元毎日放送アナウンサーで、定年後はフリーとして活動されている水野晶子さんによる『ドキュメンタリー朗読「ヒセイキの風景」&トークライブ ~ヒセイキのたたかいと労働組合~』が5月29日、大阪市中央区のエル・おおさかで開催されました。会場には47人が詰めかけ、非正規労働者の叫びを心に刻みました。
2 朗読の主人公は大阪医科薬科大学の労働契約法20条裁判の原告女性。原告女性が味わった悲哀は、私自身の経験とかぶることばかりで、泣いてしまうところでした。私自身も、朝日放送での就労12年と不当解雇されてから5年、計17年にわたる仕打ちが次から次へと蘇ります。
ボーナス支給に浮かれる社員の横で下を向いて絶えるしかない口惜しさや疎外感は、非正規経験者でないと理解できないでしょう。原告女性の職場ではさらに、ボーナスとは別に一律2万円の大入袋が出たとか。お金を封入するのは、もらえない非正規の仕事でした。私自身の経験でも、朝日放送では非正規のために社員食堂無料デーが時々設けられました。「わしらの金でメシ食うてこいや」と憎たらしく言い放つ社員は複数いました。
こんな風潮の中、たった一人で立ち上がった原告女性を尊敬します。ようやく高裁で勝ち取った「正規社員の6割のボーナス支給」を、最高裁でちゃぶ台返しにされた無念を思うと、国民審査で最高裁裁判官全員にバツをつける決意は一層強くなりました。「たとえ10パーセントでも5パーセントでも認められていたら、全体の底上げにつながったのに」。そうなんです。ヒセイキの闘いは個人が起こしたものであっても、全国2100万人の尊厳を背負った超団体戦なのです。
3 テレビでよく拝見した水野さんが、当初1年契約だったことは最近知りました。労働組合に入って闘い、社員化が実現したのがちょうど 30年前。労働組合に活気があり、放送局の労組も血気盛んな時代だったことがしのばれます。なにしろ私たちは朝日放送労組に入れてもらえませんでしたから。
女性の地位が今よりもはるかに低かった時代。「ひとこと〝おかしい〟というだけで世界が変わった」と振り返るほど、周囲の態度が豹変したことも想像に難くありません。「でも、自分の言葉に責任をとらないと、この先アナウンサーとして言葉の力を失ってしまう」。目先の給料袋より誇りを優先できる方だからこそ、長年にわたって闘えたのも事実でしょう。
社員化要求の声をあげると、周囲からは「地球がひっくり返っても実現しない」と告げられたと言います。でも、歯を食いしばり、労働組合も全力で支えたからこそ固定概念を打ち破れたのです。労組の弱体化が顕著な昨今だけに、水野さんの魂と大阪医科薬科大学事件の原告女性の思いを受け継いで組合活動を続けていけたら、と思います。