弁護士 谷 真 介
1 津田電気計器継続雇用拒否事件について、岡田茂書記長に関する事件が平成24年11月27日の最高裁判決で勝利したのは、皆さんのご記憶にもまだ新しいところだと思います(賞与請求等が残り、岡田さんについては平成25年12月に最終解決しました)。同社では、岡田さんだけでなく、その後同様に継続雇用を拒否された残り二人の組合員(植田修平元委員長が平成21年11月に、中田義直現委員長が平成23年5月に継続雇用拒否)が、裁判・労働委員会で激しく争っていました。なお会社は、組合を脱退した非組合員については基本的に継続雇用をしており、不当労働行為の側面が非常に強い事案でした。平成25年4月に高年法が改正され選別雇用が原則的にできなくなりましたが、それよりも前の事案ということになります。
平成27年2月23日、大阪地裁で二人についての和解が成立し、長年闘ってきた津田電気争議が最終解決・争議終結に至りました(なお、和解条項には口外禁止条項が付されていますが、法律家団体のニュースで和解報告をすることは許されています)。
2 岡田さんの事案では、継続雇用査定でマイナス6点を付されており、その査定が不当であることを争って裁判でこれを覆し(地裁ではプラス5点、高裁ではプラス1点と判断)、会社の継続雇用拒否が濫用であると判断されたのですが、植田さんは何とマイナス80点を超えるマイナスが付されていました。私たちは裁判での査定を争う厳しさを痛感していたこともあり、団交拒否問題も含めて労働委員会の救済申立で争う方針をとりました。他方、中田さんは、2年前はプラス8点の査定だったのが、直近1年でマイナス15点と急激に査定を落とされて継続雇用を拒否されました。中田さんについては労働委員会と裁判の両方で争う方針をとり、未払時間外手当問題もあったので、これも別途提訴しました。
3 平成25年2月、府労委は、植田さんと中田さんの継続雇用拒否を支配介入、不利益取り扱いの不当労働行為であるとし、二人を継続雇用したものとして扱うこととバックペイを命じる画期的な命令を下しました(詳細は民主法律時報2013年3月号・中村里香弁護士報告参照)。注目すべきは、府労委が、過去より労使が激しく争ってきた労使関係の下では差別が起こりやすい状況にあるとして、継続雇用された非組合員との間で植田さんや中田さんが低査定を付されるべきことを使用者が疎明していないという理由で、各査定項目における低査定をことごとく(特に植田さんについてはマイナス80点超の査定を)覆したことです。
その後、中労委と中田さんの裁判では、継続雇用査定の各項目について細部の事実関係に立ち入って争う「泥沼」の闘いとなりました。こちらが100頁の準備書面を出せば、相手も100頁の準備書面を出す、という応酬となり、双方ともに疲弊していきました。ただその間、当事者や組合は、地域を中心に結成された支援共闘会議での多大な支援も受け、裁判や中労委の主張面での闘いだけでなく、社前・駅頭での街宣や取引先への要請等、運動の山場と位置づけてあらゆる行動を重ね、会社を追い込みました。
会社は和解を頑なに拒否していましたが、上記のような継続的運動に加え、平成27年1月23日に行われた中田さんの事件での裁判所での証人尋問を経て、裁判官が中田さんは継続雇用基準を満たしているとの心証を開示したことをきっかけに、到底無理と思っていた和解協議が進み、2月に予定されていた中労委の尋問の直前に、地裁において、中田さんの別事件や植田さんの継続雇用問題も含めた一括和解が成立しました(中労委については会社の再審査申立が取り下げられ、前記府労委命令が確定しました)。詳細はここで述べることができませんが、全面勝利解決と評価できる内容です。
4 平成25年4月に高年法が改正されましたが、それまで多数争われてきた継続雇用に関する争いの中でも、本件のように査定が争点となる事件は中々争うのが困難なのが実情だと思います。津田電気争議は、岡田さんの事件で華々しく最高裁で勝利した後、驚くほどに厳しい査定を付されていた他の組合員らについても決して諦めることなく、当事者、組合、支援組織、弁護団が一体となって、労働委員会と裁判の双方をうまく活用しながら運動を展開し、最終解決を勝ち取ることができました。この経験をここで終わらせることなく、ぜひ次の世代に伝えていきたいと思います。
(弁護団は鎌田幸夫、谷真介、中村里香)