民主法律時報

河上肇の時代変革の熱い思いを今に

弁護士 橋 本   敦

1 河上肇の時代変革への熱い思いを今に
 私は、毎年、京都の秋深まる一日、銀閣寺から南禅寺に至る「哲学の道」を歩いて、その途中にある法然院を訪ね、私が敬愛してやまない河上肇と妻たみさんのお墓に詣る。
 そして、新年を迎えて、私は、河上肇がその「自叙伝」に書きとめている次の言葉を思い出して胸が熱くなる。
 「眼の前にはいかなる黒雲が渦を巻いていようとも、全人類の上によりよき世界が一年、早足で近づきつつあることには、寸毫の疑いもない。私は牢獄のうちに繋がれていながらも、この偉大なる新社会の近づいてくる足音を刻々と聞くことができる。・・・・・
 私はもう六十に近い老人だが、しかし、もし幸いにも天が私に、私の祖母や父や母やの長寿を恵んでくれるならば、私は、私の最も愛するこの日本に、私の愛する娘たちや孫たちの住んでいるこの日本の社会に、私が涙をこぼして喜ぶであろうような変化が到来する日を、生きた眼で見ることができるであろう。」
 新しい社会へのなんという熱い思いであろうか。「貧乏物語」を書いて時代変革の展望と勇気を我々に教え、自ら権力の弾圧の苦難に耐えたさすが河上肇ならではの熱い思いがここには溢れている。
 そして、1月30日、その河上肇が此の世を去った日が今年も来る。
 我々も、河上肇に続いて新しい日本への変革の思いを今年も熱くしよう。

2 今に生かしたい幸徳秋水の平和への熱い思い
 そしてもう一人、毎年1月になれば、私は幸徳秋水への思いを熱くする。
 その幸徳秋水が大逆事件の無実の罪で死刑に処せられたのは、1911年(明治 年)1月の24日であった。
 その幸徳秋水は、日本が日露戦争へと向かう厳しい情勢に立ち向かって、1901年(明治34年)5月18日に、片山潜・安部磯雄らとともに熱烈な「軍備全廃綱領」をかかげて社会民主党を結成した。その綱領は、戦争反対と軍備廃止という平和への熱い信条を次のように宣言した。
 「戦争は素より、これ野蛮の遺風にして、明らかに文明主義と反対す。もし軍備を拡張して一朝外国と衝突するあらんか、その結果や実に恐るべきものあり。(中略)もし不幸にして敗戦の国とならんか、その惨状はもとより多言を要するまでもなし。兵は凶器なりとは古人も已にこれを言えり。今日のごとく万国その利害の関係を密にせるに当り、一朝剣戟を交え弾丸を飛ばすことあらば、その害の大なるは得て計るべからず。ここにおいて我党は軍備を縮小して漸次全滅に至らんことを期するなり。」
 今から百年も前、富国強兵・軍備拡張を急ぐ天皇専制の時代に、この流れに抗して、これはなんと勇気のある反戦平和の訴えであろうか。
 ところが、明治政府は、この戦争廃絶の平和綱領に激怒し、治安警察法により社会民主党を、結成したその日に解散させた。
 まさに、この軍備全廃宣言発表の日が、社会民主党の最後の日であった。斯くして「恒久平和」を宣言した社会民主党は、ただ一日の存在をも許されなかったのであった。
 しかし、幸徳秋水らは、これに屈せず、「平民新聞」を発行して、戦争反対・平和のたたかいを進めた。幸徳秋水はその「平民新聞」で、次のように断固として戦争反対を訴えている。
 「不忠と呼びたければ呼べ。国賊と呼びたければ呼べ。もし戦争を謳歌せず、軍人にペコペコしないことを不忠というのであれば、われわれはよろこんで不忠となろう。もし戦争の悲惨、愚劣、損失を直言するものを国賊というのであれば、われわれはよろこんで国賊となろう。」
 なんという熱い信念であろうか。
 今、まさに厳しい激動の時代に新年を迎えるにあたり、世紀を越えて、この幸徳秋水らの平和への熱い思いをわが胸によみがえらせよう。
 そして、今迎えた新しい年も、平和という世界的正義の実現のために力一杯頑張ると決意を新たにしよう。

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