弁護士 橋 本 敦
1 安部内閣の登場で憲法をめぐる情勢が緊迫
昨年の総選挙の結果、小選挙区制による虚構の多数を得て自民党は294議席をかすめ取った。この自民党と日本維新の会とで衆議院の改憲勢力は348議席となり、改憲発議に必要な全議員の3分の2を確保することとなって、憲法改悪の危険が強まっている。
来る参議院選挙でも改憲派が3分の2の議席をとる事態となれば、戦後60余年にして初めて憲法改悪の発議がなされる事態となる。
ところが、それを待たずして、今、重大な憲法破壊が進められようとしている。それが、安倍首相がねらう集団的自衛権の容認である。
安倍首相は、去る2月の日米首脳会談で、オバマ米大統領に「日米同盟はわが国外交の基軸だ。そのため、集団的自衛権の行使容認に向けて憲法解釈の見直しにとりくむ」と約束した。そもそも、憲法99条によって、憲法尊重擁護の責任がある首相が、こともあろうに憲法違反の集団的自衛権の行使を米大統領に約束するなど、断じて許せない。こうして今、憲法問題は緊迫した状況となった。
2 憲法9条を「死文化」させる集団的自衛権の容認
今、集団的自衛権を認めるとはどういうことなのか。それは、対米従属の日米安保条約の下で日本がアメリカの目下の同盟者となって、米国とともに戦争する国への道をひらくことである。今、自民党は「国家安全保障基本法」を制定し、憲法第9条の改正を待たずして、この集団的自衛権を認めようとしている。
この集団的自衛権とは、日本が他国から武力攻撃されてもいないのに、アメリカが戦争に入れば、日本はアメリカの同盟国としてその戦争に参加するというものである。これは、明白に、戦争を放棄したわが憲法第9条違反で断じて許せない。
3 日本の集団的自衛権はアメリカの要求
実は、日本に集団的自衛権を認めさせることは、日米安保体制下のアメリカの要求として早くから日本に押しつけられていた。
2000年には、アメリカの国防次官補アーミテージの「米国と日本の成熟したパートナーシップに向けて」という報告書が、「日本が集団的自衛権を禁止していることは、日米の同盟間の協力にとって重大な制約となっている。この禁止条項を取り払えば、より密接で効果的な日米安全保障協力ができる。憲法第9条は日米同盟の邪魔ものだ」とはっきり述べている。
また、ラムズフェルド国防長官も、2005年2月の日米安全保障協議委員会で「日米の平和のための協力活動は、血を流してこそ本来の目的につながる尊いものになる」と驚くべき発言をしている。
このようなアメリカの要求に屈従して、日本も戦争する国となり、世界のどこであれ、アメリカの戦争に参加して「血を流す」こともいとわない。これが安保体制下の日米同盟の本質であると言うのであり、その実現の第一歩が、まさにこの集団的自衛権なのである。
4 国家安全保障基本法の危険な内容と憲法の「死文化」
自民党の「国家安全保障基本法」案の第10条第1項は、次の場合には、わが国が自衛権を行使できるとしている。
「一 我が国と密接な関係にある国に対する外部からの武力攻撃が発生した事態」
これが自民党がねらう集団的自衛権の発動である。
そもそも、憲法より下位のこのような法律によって、国の最高法規である憲法第9条がないがしろにされ、戦争放棄の輝かしい平和憲法が「死文化」されてしまうなど絶対に許せないではないか。
これまでの政府の見解を見ると、例えば、1972年10月14日、田中内閣は、集団的自衛権についての政府見解を国会に提出した文書で次のように明示している。
「わが憲法の下で、武力行使を行うことが許されるのは、わが国に対する急迫、不正の侵害に対処する場合に限られるのであって、したがって、他国に加えられた武力攻撃を阻止することをその内容とするいわゆる集団的自衛権の行使は、憲法上許されないといわざるを得ない」
この政府見解は、法制局の集団的自衛権は憲法第9条に違反するという明確な見解とともに、今日まで堅持されて来た。
ところが、日米首脳会談で安倍首相は、前述したように、この政府の憲法解釈を変更すると約束した。これは重大な解釈改憲である。安倍首相のこの対米約束なるものは、なんと言う卑屈、不見識、そしてまた国会をもかえり見ないごう慢なことであろうか。
そして、実際に安倍首相は、この政府見解の変更を進めるために、第一次安倍内閣の下で設置したが、活動休止になっている「安全保障の法的基盤の再構築に関する懇談会」を復活させた。
憲法の破壊は、それだけではない。自民党のこの「安全保障基本法」案第3条では「国は必要な秘密が適切に保護されるよう、法律上・制度上必要な措置を講ずる」と規定しており、これによって国民の「知る権利」を奪う憲法違反の「秘密保全法」が制定されようとしていることも重大である。
5 安倍内閣の憲法改悪二正面作戦とわれわれのたたかい
安倍首相は今、国会でも「憲法改正論議をおおいにおこしてゆこう」と述べ、憲法改悪の方針をいよいよ明確に打ち出している。安倍内閣の改憲のねらいは、まず憲法第96条の改憲手続要件の緩和をねらい、さらに憲法第9条の廃棄という本来の改憲に迫る基本的改憲路線を堅持するとともに、それよも先に憲法改正を待たずして、集団的自衛権承認を強行する不当な解釈改憲の道を急ぐこと、つまり、憲法蹂躙の二正面作戦が構えられていることが明らかである。
かくして今、憲法をまもるたたかいは、まさに風雲急を告げ、今日、重大な局面を迎えている。
今こそ、この安倍改憲二正面作戦に断固として立ち向かい、戦争をしない国日本、そして、世界に誇る平和憲法をまもりぬく大きな国民的たたかいをもり上げねばならない。
神奈川大学中村政則教授がその「戦後史」(岩波新書)の終章で、日本が平和への道を進むことを願って揚げられている憲法記念日に寄せられた次の庶民の歌が胸に迫る。
九条は水漬き草むす兵が礎 (尾崎篤子)
生き残りし古老の言葉淡々と「やるもんじゃねえ、戦争は二度と」 (吉川邦良)
さらに、われわれが敬愛する河上肇が終戦の日に詠んだ歌を記したい。
あなうれし とにもかくにも生きのびて
戦やめける けふの日にあう
この歌には、「貧乏物語」を書いて京都大学を追われ、さらに、治安維持法で弾圧され、長年の獄中の苦難の日々に耐えてようやく戦争終了の日を迎えた河上の平和への熱い思いがしたたる。
戦争が終わって、ようやくめぐり来た尊い平和の日々、われわれはその平和を、そして世界に誇れる平和憲法をまもりぬく決意をいつも新たにしよう。そして、今、安倍内閣が憲法第9条改悪の突破口として、日本を戦争する国にする「集団的自衛権」を認めようとしている暴挙に対し、断じてこれを許さないために奮闘しよう。