弁護士 大 前 治
◆TPP「労働に関する覚書」
TPP参加は日本の労働者の雇用・労働条件に重大な悪影響を及ぼします。貿易と国際投資の円滑化には、雇用の自由化・流動化が不可欠だというのが財界・多国籍企業の要求だからです。
TPPと同時に各国が締結する「労働に関する覚書」という付属文書があります。その第二条には、「締約国が保護貿易主義的な目的のために法規制、政策と労働慣行を定めることは不適当である」とあります。もし労働者派遣法の抜本改正が実現しても、それが「海外企業から見れば保護貿易主義的だ(=海外企業に不利だ)」となると、撤回や不適用を要求される危険があるのです。
◆TPP「労働」部会での議論 ――労働者保護を明記するか否かは未定
あるTPP作業部会のうち「労働」部会は、「貿易・投資の促進を目的とした労働基準の緩和の可否」や「国際的に認められた労働者の権利の保護の妥当範囲」などが実務レベルの交渉議題とされています。
ところが、せっかく議題を設定したのに、「労働者保護」の観点から条文を明記しようという合意には至っていません。労働分野について独立した章を設けるか否かすらも合意がない状況です。
そもそも現行のTPP本体文書にも、労働者保護の条項は存在しません。
◆現存するFTAに存在する条項が、TPPにはない?
現存する自由貿易協定=FTAや経済連携協定=EPAは、どうでしょうか(※注1)
米豪FTAや米ペルーFTAには、労働に関する規定が置かれています。内容は、次のとおりです。
①国際労働機関(ILO)加盟国と しての義務を再確認する。
②貿易・投資の促進を目的とした 労働基準の緩和(労働者の権利保 護の水準の引き下げ)は不適当で あることを確認する。
③国際的な労働に関する約束と国 内法の整合性を確保しかつそれを 効果的に実施する。
④協定の規定の解釈や適用をめぐ り問題が生じた場合の協議、紛争 解決手続の適用について定める。
これらは、労働者保護のため当然の事項です。米国は、自国のFTAではこれら条項を定めているのです。
ところが、日本が他国と締結しているEPAには、こうした条項はほとんど存在しません(わずかに、フィリピン・スイスと締結したEPAには②が規定されています)。日本政府が労働者保護条項を求める姿勢が弱いのではないでしょうか。
そして、TPP本体文書にも、これらの条項は存在しないのです。
(※注1)FTAとEPAの意味は、連載②(本年4月号)で中島弁護士が解説しています。
◆作業部会の議論に対する日本政府の姿勢
2012年10月に政府各省がまとめた文書「TPP協定交渉の分野別状況」には、次の一文があります。
「(1)我が国が確保したい主なルールの内容―― ILO加盟国としての義務の確認、『労働基準の緩和の禁止』等の規定が盛り込まれる場合は、不当な競争によって日本における事業コストが相対的に上昇することを防ぐ上で有意義である。」
つまり、「この条項によって国内労働者が保護されるから」ではなくて、「他国の労働者が安価で雇用されるようになると国内企業の競争力が弱まるから」という理由なのです。 これはまったく逆転した発想です。この発想からは、「国外でも国内でも、同様に労働条件が下がるのであれば、企業の競争力は維持できる」ということになり、労働者保護条項は不要ということになりかねません。
◆「サービス貿易の自由化」は「労務提供の自由化」をもたらす
TPPの 作業部会は、広汎な生活分野を対象としているので、あらゆる分野の雇用と労働条件にも影響を与えます。
「越境サービス貿易」部会では、「無差別原則(内国民待遇、最恵国待遇)の徹底」や、「数量規制と形態制限の禁止」を各国に義務づけることが議論されています。ここでいう「サービス」には、建設、流通、金融、保険、教育、通信、観光など広汎な事業が含まれています。これらの多くは「労務提供」を重要な要素とする産業形態であり、必然的に「労働力の国際移動」が自由化へと動き出すことになります。国内就労者の約六割がサービス産業で就労していることから、影響は重大です。
就労目的の入国者の入管手続簡素化、就労ビザ発給の容易化などが求められる可能性もあります。低賃金で就労する外国人労働者が大量に入国し、そのことが賃金水準を低下させて日本人の労働条件にも悪影響を及ぼす可能性があります。(なお、外国人労働者の権利擁護は重要課題ですが、その点は本稿の主題ではないので割愛します。)
◆「最低賃金法や公契約法は、参入障壁だ!」
建設分野を例にあげると、海外企業が日本の公共工事を受注し、自国の労働者を日本へ移住させて低賃金で就労させることが考えられます。海外企業にとって邪魔な存在である「最低賃金法」の撤廃を求めたり、自治体発注工事の労働条件を規制する「公契約法」も参入障壁だから廃止せよと求めてくるでしょう。実際に、ラトビアの建設企業がスウェーデンに進出した際、現地の労使協約に基づく最低賃金を適用する義務があるか否かが欧州司法裁判所で争われた例もあります。
このように海外企業との受注競争(コストダウン競争)が熾烈化して、賃金水準に重大な悪影響を及ぼしそうです。
◆国内企業の海外進出が「産業と雇用の空洞化」を招く
このほか、TPP参加により国内企業の海外進出が拡大すると、国内雇用は激減し、産業と雇用の「空洞化」が進みます。このことも、労働者に重大な影響を与えます。
自由貿易の拡大により企業買収や企業分割(M&A)が活発化することによる労働者の地位の不安定化も懸念されます。
医療労働者への影響については、連載③(本年5月号)で染原さんが指摘しています。
これまでも米国は、日本の終身雇用制を批判して、雇用の流動化(=雇用の不安定化)を求めてきました。
日米両政府が共同作成した「2006年日米投資イニシアチブ報告書」は、次の対日要求を掲げています。
・従業員の確定拠出年金制度の活用
・解雇紛争の金銭解決(=解雇の自由 化)
・労働時間規制を緩和するホワイトカ ラーエグゼンプション導入
・労働者派遣の規制緩和と拡大
これらの要求が、TPP協議でも日本へ向けられます。多国籍企業(日本企業を含む)からみれば、解雇権濫用法理、整理解雇の四要件、労働者派遣法などは不公正な参入障壁ということになり、アジア各国との賃金水準の差異を考えれば最低賃金法すらも参入障壁とされるかも知れません。今まで以上に熾烈な競争にさらされます。
TPP参加はあらゆる方向から労働者に不利益をもたらします。阻止しましょう。