民主法律時報

兵庫民法協50周年行事に参加して

弁護士 城 塚 健 之

 6月23日、グリーンヒルホテル神戸にて、兵庫民法協  周年行事が開催され、大阪からは私が代表として出席してきました。
 兵庫民法協は、1961年に民法協神戸支部としてスタートし、1962年に独立して発展してきた組織です。学者、弁護士、労働組合がともに会員として参加するという組織スタイルは今も同じで、現在、団体会員65団体、学者・個人16名、弁護士53名という陣容です。
 いただいた総会議案書や「50年のあゆみ」を拝見しますと、人数の割には非常に活発に活動されている様子が伝わってきます。
 さて、記念行事の目玉は、野田底吾弁護士と羽柴修弁護士の対談でした(司会 本上博丈弁護士)。懇親会の会場でテーブルに座ったのに、飲み物も何も出てこないままの、小一時間の対談でしたが、お二人がそれぞれ事務局長を務めておられた時代のたたかいを回顧され、今日に伝えるという試みは大変面白いものでした。
 裁判所には期待せず、とにかく運動で勝利することをめざしたという野田事務局長の時代。しかし野田先生は、それではいかんと考えて、理論的な学習活動も進めてきたと言われます。地理的に離れた兵庫県内各地での多数の学習会の成功は特筆すべきものです(ちなみに兵庫民法協は自前の車を持っているそうです)。他方、時代は移って、裁判を提起すれば当然のように勝っていたという羽柴事務局長の時代。その後また揺り戻しが来るのですが、そうしたたたかいをふりかえって、羽柴先生は、「労働者の権利宣言」をつくるべきではないかと提起されます。この話を聞いて、私は、自治労連が  年前の発足時に「自治体労働者の権利宣言(素案)」というかなり立派なものを作りながら、その後、現場での議論はあまり進まず、今日の異常な公務員バッシングの時代を迎えていることを思い浮かべ、いろいろと議論しなければならないことも多いかも、などと考えておりました。
 それはさておき、その時代時代を全力でたたかってこられた先輩方の発言にはじ~んと来るものがあります。ちなみに私は、以前、野田先生と一緒に、ひょうご21世紀協会事件を取り組んだことがあります。その後、野田先生はお体を壊されたのですが、久しぶりにお会いして、思いのほかお元気そうで少し安心しました(それにしても兵庫民法協の事務局長在任期間の長さにはちょっとびっくり。人使いが荒いなあと思います)。
 その後、ようやく乾杯、そして懇親会となったのですが、そこではスライドを使って、兵庫民法協に加盟する(おそらく)すべての労働組合の紹介がなされ、紹介された組合の方がその都度挨拶をされていました。これは加盟組合の多い大阪ではなかなかできないことかもしれませんが、でも大事な企画だと思いました。
 隣に座られた長渕満男先生(甲南大)はすでに定年になられたということで、年月のたつ早さには少々怖くなったりしました。
 私はといえば、どなたからも「大阪は(橋下相手に)たいへんですねえ」などと、ひたすら同情されていました。
 このほか、個人的には、これまでわが民法協の長老の先生方から幾度となくお名前をお聞きしながら、これまでお会いする機会のなかった「伝説」の小牧英夫弁護士にお会いできたのが嬉しい出来事でした。
 なお、検索エンジンで「民法協」と入力すると、ときどき兵庫民法協のホームページがトップに出てくることがあるのですが(ちなみにこの原稿を書いている時点では大阪がトップでした)、この50周年の会場には若手弁護士や女性の姿が少なかったので、この点では大阪が勝ったかなと。
 ともあれ、今後も、神戸と大阪の二つの民法協がますます発展していくことを祈念して夜の神戸をあとにしたのでした。

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