弁護士 橋 本 敦
1 はじめに
不法な思想弾圧のレッド・パージの嵐が吹き荒れてから60年、その長い苦難の日々に耐えて、もはや90才となる3名の犠牲者らが、「生きているうちに名誉回復を」と切実な要求をかかげて立ち上げたレッド・パージ裁判に対し、平成23年5月26日神戸地裁は「原告らの国家賠償の請求はすべて棄却する」との判決を下した。
それは、原告らがレッド・パージによって蒙った今日に至る筆舌に尽くせぬ人生の苦難に目を背け、まさに人道と憲法と正義に背く血も涙もない不当な判決であった。
原告らは直ちに大阪高裁に控訴した。
この不当判決に対して、先に原告らの申立を認めて画期的な人権救済勧告を出していた日本弁護士連合会が、昨年6月3日、宇都宮健児会長のきびしい批判の談話を発表して、レッド・パージの国の責任について、次のように述べていることは重要である。
「今回の判決は、国家賠償法上の賠償責任を否定したが、これまで当連合会が二度にわたり勧告しているとおり、レッド・パージにおける日本政府の責任は重大である。今回の判決では、レッド・パージによって生じた損失を補償することは、憲法上、立法府の政策的判断に委ねられていると判示しているが、政府は上記日弁連の勧告に対して今日まで何ら立法政府への働きかけをしていない。当連合会は、政府に対し、改めて、当連合会の勧告(平成20年10月24日)の趣旨を踏まえて、レッド・パージの被害者の被害回復のための適切な措置を講ずることを求める。」
2 レッド・パージの国の責任を追及する重要性
全国で提起されたこれまでのレッド・パージ裁判がすべて会社など使用者に対してレッド・パージによる解雇の責任を問うものであったのに対し、本件レッド・パージ裁判の最大の特徴は、国を被告としてレッド・パージの国の責任を究明するところにある。
そこで改めてレッド・パージの国の責任を明確にしておきたい。
レッド・パージの歴史的事実を総括して言えることは、レッド・パージなるものは、朝鮮戦争を前にして、日本を反共の最前線基地にしようと企図してレッド・パージを強力に示唆した米占領当局とこれに迎合、加担した日本政府及び企業の共同責任、共同不法行為であったと言うことである。特に、憲法を遵守すべき国が自らのその責務を放棄し、国をあげてレッド・パージを遂行した責任は重大である。
この国の責任について、神戸地裁で証言に立った北海道教育大学の明神勲教授は、裁判所に提出したその意見書で次のように論述されている。
「レッド・パージは、米ソの冷戦体制の進行とこれに伴うアメリカの占領政策の転換(「東洋のスイス日本」から「アジアにおける反共の砦へ」)を背景に、GHQの唱える「自由」「民主主義」が「反軍国主義のシンボルから反共主義のそれへと変質」し転換させられた時点で、超憲法的占領権力を背景に、GHQと日本政府および企業経営者の共同行為として強行されたものであった。
思想・信条そのものを処罰の対象とするレッド・パージは、本来、憲法をはじめとする国内法の許容するところではなく、かつ最上位の占領法規範であるポツダム宣言の趣旨にも反するものであったが、占領下においては超憲法的権力であったGHQの督励と示唆により、それを後ろ盾とした日本政府、企業経営者の積極的な推進政策により強行された。
レッド・パージという不法な措置を実施するにあたり、GHQ及び日本政府は、事前に裁判所、労働委員会、警察をこのために総動員する体制を整え、被追放者の「法の保護」の手段を全て剥奪した上でこれを強行したのであった。違憲・違法性を十分認識しながら、法の正統な手続きを無視したレッド・パージは、「戦後史の汚点」とも呼ぶべき恥ずべき「国家の悪事」であった。
そのため「レッド・パージにたいして責任を負うべきは誰なのか」という問いに対しては、これまでの考察に基づいて以下のように答えることが妥当と考える。
(1)1950年6月6日付マッカーサー書簡による共産党中央委員会委員追放、同年6月7日付マッカーサー書簡による「アカハタ」編集委員の追放および同年8月30日付マッカーサー書簡による全労連幹部の追放は、GHQの指令に基づくものでGHQの責任に属する。
(2)それ以外の、1949年から1950年のレッド・パージは、GHQ、日本政府、裁判所、地労委および企業経営者は、それに対して「共同責任」を負うべきである。」
まさに、明神教授の言われるとおり、この国などの共同責任こそ、レッド・パージの本質的な歴史の事実なのであって、レッド・パージは、紛れもなく「国家の悪事」であったのであり、国の責任こそ重大なのである。
さらに、前述の日本弁護士連合会のレッド・パージ人権救済勧告も次のように国の責任を明らかにしている。
「レッド・パージが行われる最初の契機はGHQの指示であるとしても、日本政府内部にもレッド・パージを推し進める傾向があり、GHQの指示を積極的に受容する下地があった。そのため、日本政府は、GHQの指示にやむを得ず応じたのではなく、むしろ、GHQの権威を利用して積極的にレッド・パージを推進したということができる。」
「申立人大橋は国家公務員であり、日本国政府はその人権侵害行為に対し直接責任を負っている。同時に、民間企業(川崎製鉄と旭硝子)に勤めていた申立人川﨑義啓及び安原清次郎らに対する解雇についても、上記各会社等が自主的判断の形をとりながら実施したものではあったが、それらは連合国最高指令官マッカーサーの指示等に基づき、日本政府が支援したものであるから、日本政府にも責任がある。」
3 これに対して第一審裁判所はどのように判断したか
―国の責任を認めない不当な判決―
ところが、神戸地方裁判所は、原告らに対する免職・解雇はレッド・パージであることは認めたが国の責任は認めず、次のようにひたすら占領軍権力に盲従する許し難い判断を下したのである。判決は次のように判示した。
「しかし、原告らに対する免職又は解雇は、マッカーサーから吉田首相に対する書簡が発せられた後に、原告らが共産党員であることを理由としてなされたものであるところ、(中略)原告らに対して行われたレッド・パージによる免職又は解雇は、その行為時点において、連合国最高指令官の指示に従ってされたもので法律上の効力を有しており、その後に平和条約の発効により連合国 最高指令官の指示が効力を失ったとしても、影響を受けるものではない。
したがって、原告らに対する免職又解雇が国家賠償法上の違法行為に当たるとする原告らの主張を採用することはできない。」
このように占領権力を絶対視してレッド・パージの国の責任(国家賠償法上の国の違法行為)を認めなかったこの神戸地裁判決は、大阪市大の本多淳亮教授が「占領軍当局の巨大な魔手におびえて自ら司法権の不羈独立を放棄したと言われてもしかたがあるまい。」ときびしく批判された最高裁の共同通信事件(昭和27年4月2日)と中外製薬事件(昭和35年4月18日)の不当な判決を無批判に踏襲するもので、今や絶対に容認できないものである。
4 大阪高裁における重大な争点
以上の経過と論点から大阪高裁における審理では、第一審に引き続きレッド・パージの違法性に基づき、これに重大な責任があるのに犠牲者の蒙った筆舌に尽くしがたい苦難と損害及び名誉の回復のため、何らの救済措置をとらない国の立法不作為の違法責任の究明が次の二つの課題によっていよいよ重大な争点になった。
(1) 講和条約の発効によって主権を回復した国のとるべき人権侵害の是正措置
仮に判決が言うように、占領下では占領軍の超憲法的な力によって、レッド・パージの人権救済が出来なかったとしても、講和発効後は、国は速やかに人権救済措置をとるべきであった。このわれわれの主張を認めて、日弁連は次のように明快に勧告した。
「講和発効後、国は自主的にレッド・パージを清算し、被解雇者の地位と名誉の回復をすることが十分に可能であったし、行うべきであったことは疑いを入れない。」ところが、「このなすべきことを放棄・容認し、現在に至るまで、何らの人権回復措置を行っていないことの責任は重い。」
この国の重大な不作為の違法責任こそ、第一審に続いて大阪高裁の審理でわれわれが厳しく追及するところである。
(2) レッド・パージ犠牲者を公職追放者と差別して名誉回復と損害補償しないことの憲法及び条理違反
国は講和条約の発効により、公職追放者に対しては、追放解除するとともに蒙った不利益是正措置をとった。ところが、レッド・パージ被害者に対しては、何らの人権救済立法もなさない。この明白な差別、不平等の立法措置の国の責任は重大である。
戦後、侵略戦争に責任があった政界指導者、軍国主義者について公職追放が行われたが、政府は講和発効にともない、1952年4月「公職追放令を廃止する法律」を制定し、追放を解除するとともに、被追放者の復職、恩給、年金などの不利益を回復した。
しかるに国は、レッド・パージ被害者に対しては、それが明白な憲法違反の人権侵害であるのに何の名誉回復も損害回復措置もしない。これは、余りにもひどい不公正な差別扱いであって、憲法規範(平等原則)と 条理に反するこの国の立法不作為の違法は明白である。
「大阪空襲訴訟」の大阪地裁判決(2011年12月7日)は、
「戦争被害を受けた者のうち、戦後補償という形式で補償を受けることができた者と、必ずしも戦後補償という形式での補償を受けることができない者が存在する状態が相当期間継続するに至っており、上記の差異が、憲法上の平等原則違反の問題を生じさせないと即断することはできない。」と正当な判断を示しているが、この判示に照らしてみても、戦争犯罪者に近い軍国主義者に対しては、追放を解除してその損害を補償しているのに、憲法違反のレッド・パージ犠牲者に対しては何らの補償もしないという国の差別的措置が、条理のみならず、憲法の平等原則に違反することは余りに明白である。
5 国と国会に対する裁判所からの調査嘱託申立の意義
―控訴審での新たな重要なたたかい―
かくして、昨年12月20日、第1回裁判が開かれた大阪高裁のたたかいでは、以上の第一審判決の誤りと不当性を一層明らかにし、この誤りを正すために、弁護団は裁判所に対して、国(政府)と国会に対し、これまでレッド・パージ問題について救済立法をしなかった理由、そして、政府に対して出された前記の日弁連人権救済勧告を受けて、政府はどのように対応したのかなど、裁判所から調査を求めるようにとの重要な申立をした。
その要旨は次の通りである。
【調査嘱託の申立】
第一 国会に対する調査内容
1 調査嘱託先
衆議院請願課・参議院請願課
2 調査を求める事項
(1)対日講和条約発効(1952年4月28日)後、現在に至るまでの間、衆議院若しくは参議院において、レッド・パージの犠牲者の名誉の回復と国家賠償に関する請願が受理されたことがあるか。
(2)あるとすればその日時、請願の要旨、付託委員会、審査結果及びその後の処理状況
(3)請願が審査未了となった場合はその理由
第二 政府に対する調査内容
1 調査嘱託先
内閣官房総務官室
2 調査を求める事項
(1)対日講和条約発効後、現在に至るまでの間、政府(内閣)において、レッド・パージ犠牲者の名誉回復や国家賠償等について検討したことがあるか。あるとすればその時期・内容、ないとすればその理由。
(2)日本弁護士連合会から内閣総理大臣に対してなされた控訴人らに対するレッド・パージの名誉回復と補償を求める勧告(平成20年10月24日)について、政府(内閣)はこれを検討したか。検討したとすればその時期及び内容。ないとすればその理由。
第三 調査嘱託を申し立てる理由
そもそも、政府や国会は、レッド・パージ被害者の名誉回復や損害賠償・補償についての施策や立法をこれまでに検討したことがあるのか、それともしなかったのか、それについて理由を明らかにしない限り、国が裁量権の範囲を逸脱しているか否か、国の不作為の違法責任ついて正しい判断ができない。よって、上記調査嘱託を求めると言うものである。
6 レッド・パージ裁判の前進へ
―新たな勝利への一歩―
この控訴人らの調査嘱託申立は、国の責任を明らかにするための極めて重要な訴訟手続である。これに対して、大阪高裁は、前記の第1回口頭弁論で、この申立を容認するとの画期的な決定を下した。
それは、レッド・パージ裁判に新たな重要な一歩前進の展望をひらいたと言えよう。
この裁判所の決定によって、国はそもそもレッド・パージの権利回復を検討したことがあるのかどうか、またさらに、国は日弁連の勧告を受けてどう対処したのか。何もしなかったとすれば何故か、レッド・パージ人権救済について、公職追放と差別したのは何故かについて、その理由を答えざるを得なくなったのである。
裁判所の権限によって、このような調査が進められることは、極めて異例である。こうして、国の責任解明のための新たな一歩がひらかれたのである。よくぞこの決定が勝ち取れたと思う。
当日の法廷は、憲法違反の思想差別、不当な人権侵害であるレッド・パージは許せないとの思いで、神戸のみならず、大阪からも駆けつけて、傍聴席満員となる熱い思いの満ちた法廷であった。弁護団の正論に加えて、高齢の控訴人らも必死の思いみなぎる陳述をした。
その「熱い法廷」が裁判所を動かしたのであった。
こうして我々はレッド・パージ裁判の歴史的な勝利に向かって、たたかいを進める決意を新たにすることができたのであった。