弁護士 塩 見 卓 也
本年4月26日、労働契約に職種限定合意があると認められる場合に、仮に当該職種廃止等の事情があったとしても、本人同意なく配転命令を行うことは違法であるとの旨の最高裁判決を得たので報告する。
配転命令に関する最高裁の判断は、東亜ペイント事件判決(最二小判昭和61年7月14日労判477号6頁・集民148号281頁)以来38年ぶりであり、当時に比べ一歩前進といえる内容で、社会的意味は大きいといえる。特に本件は、職種限定合意は黙示の合意として認められており、類似事例への影響は大きい。具体的には、例えば大学教員、アナウンサー、記者、医師・看護師など、当初から専門性の高い職種に従事することを前提に採用され、その職種で長年働いてきたにもかかわらず、突然使用者から全く別職種で働けとの配転命令を受けた場合などは、本判決の趣旨からすれば、本人同意がなければそのような配転命令は違法と判断されうることになる。
もっとも、この判決は、私が「最低限これだけは言うだろう」と思っていた最低限しか述べていない。私は、東亜ペイント事件判決が使用者の配転命令権に広範な裁量を認める判断を行ってから38年を経て、いわゆる「男性片働きモデル」が完全に時代遅れになった中で、もう少し踏み込んだことを述べることを期待したが、そこは期待外れであった。東亜ペイント事件判決当時、私は中学1年生であったが、バブル経済の初期、テレビCMでは「24時間たたかえますか」というフレーズが流れ、正社員として働く父親は単身赴任も厭わず会社の転勤命令に従うことも当たり前とされていた時代であった。そこからの世の中の変化にもかかわらず、今でも東亜ペイント事件の考え方が幅を利かせることによって労働現場に生じている害悪については、労働事件に携わる者であれば枚挙にいとまがない。補足意見でもいいので、「男性片働きモデル」が時代遅れとなったことを踏まえ、使用者の裁量を制限的に捉え、労働者の自由意思をより尊重すべきことに触れてほしかったところであった。
それでもこの判決は、配転命令権につき使用者のフリーハンドに近い裁量性を認めるのではなく、あくまで労働契約の合理的意思解釈を行った上で、それに基づき契約上職種や勤務地は限定されているといえるかを検討し、配転命令権が制約されうることを示したものとして、非常に意味があったと評価できる。安藤運輸事件判決(名古屋高判令和3年1月20日労判1240号5頁)は、職種限定合意があったとまでは認めなかったものの、雇止め法理類似の考え方をとりつつ、運行管理者としての勤務を継続できることに対する合理的期待があったと認定し、その上で配転命令を違法・無効としている。この判決の考え方も、労働契約の合理的意思解釈を行った上で、使用者の配転命令権を制限的に捉えたものといえ、今回の最高裁判決に親和的といえる。今回の最高裁判決は、労働契約法が定める労使合意原則・対等決定原則(同法1条、3条1項、8条)や、個別合意と就業規則の関係(同法7条)からすれば、ある意味当たり前の判断といえるが、「労働契約の合理的意思解釈を踏まえ、使用者の権限を制限的に捉える」という考え方によって労働者の救済を図るための足がかりとして、その意義は拡がりうると考えている。労働事件に携わる皆様には、今後の闘いを通じ、この判決を「育ててほしい」と思う。
なお、今回の判決に対しては、主に使用者側から、「配転できないなら解雇すればいいのか」という声も聞こえてくる。しかし、今回の判決と整理解雇法理とを併せて考えれば、職種限定合意のある(あるいはそう解し得る)労働者に対し、職種廃止を理由に配転または解雇を行おうとする場合、まず、職種廃止自体の合理性・必要性があり(四要件①人員削減の必要性)、職種廃止自体の合理性・必要性を真摯に当該労働者に説明し、当該労働者の従前のキャリアを踏まえた異動先の希望も聞いた上で、職種変更を伴う配転の同意を求め(四要件②解雇回避努力及び④説明義務)、それらを尽くした結果、当該労働者が配転に同意すればそれで問題解決、それらを尽くしても当該労働者が同意しない場合、職種廃止自体の合理性・必要性があり、当該労働者がその職種に限定された労働者である以上、四要件③の解雇対象選定基準の合理性もみたされ、解雇できる、というのが論理的帰結といえる。逆に、四要件のうち、①②④がみたされない場合は、当然に解雇無効となるといえる。そのような意味で、いわゆる「ジョブ型雇用」だから簡単に解雇できるという話にはならない。職種廃止を理由とする、職種限定合意のある労働者の安易な解雇を許さないために、上記の論理も定着させる必要がある。労働事件に携わる皆様には、この点についても留意されたい。