2010年月号/MENU


7世帯の住み続けられる権利を守った雇用促進住宅別宮団地の5年間 ― 「機構」が全国で初めて定期借家契約を撤回
東京地裁もNTTの大掛かりな不当労働行為を断罪
郵政民営化による解散解雇 郵便事業会社等を免責する不当判決 ― 2社を排除する経緯の不自然さに目をつむった大阪地裁
心優しい西野さんの物語 ― モビーディック事件報告
枚方自動車生活保護訴訟報告


7世帯の住み続けられる権利を守った雇用促進住宅別宮団地の5年間
 ― 「機構」が全国で初めて定期借家契約を撤回
全大阪借地借家人組合連合会 会長 船 越 康 亘


 政府は、3月23日開かれた労働政策審議会職業能力開発分科会へ、「事業仕分け」第2弾として独立行政法人雇用・能力開発機構(以下「機構」)を来年4月1日で廃止する法案要綱案を諮問し、同分科会の了承を得たことから国会へ提出することを決めました。
 「機構」の廃止後、これまでの事業は、高齢・障害・求職者雇用支援機構が引き継ぐことになると伝えられています。これまでに進めてきた雇用促進住宅も譲渡等の業務が移管されることになります。
 「機構」は、失業者の住宅対策として全国で約14万戸の雇用促進住宅を管理運営しています。
 雇用促進住宅は、政府のエネルギー政策の転換により、炭鉱労働者の大量首切りによって大都市圏を中心に雇用の確保とともに住宅の確保のために供給されました。
 一昨年末、派遣切りによって雇用と住まいを同時に失った労働者が再就職出来るまでの間住宅を提供したことから、雇用促進住宅の役割が注目されてきています。
 2001年12月、小泉行革は、雇用促進住宅の早期廃止のための方策を検討することを答申し、2003年5月、厚生労働省職業安定局の「雇用促進住宅基本課題検討会」は、「低所得勤労者等に提供されている住宅そのものの意義が否定されているものでないと考える」「譲渡されるまでの間は、低所得の勤労者等の住宅として、有意義に利用していくことが重要である」と雇用促進住宅の存在意義を位置づけました。
 2005年4月、「機構」は、全国で49団地6,583世帯に対して「耐震強度不足」を口実にして20万円の移転料と引替に2008年3月までに退去するよう一方的に通知しました。
 大阪府八尾市高美町の雇用促進住宅別宮団地の269世帯が廃止対象団地として「機構」から退去通知を受けました。
 突然退去通知を受け取った団地住民からは、「突然死刑を言い渡されたようなもの」「たった20万円では敷金にもならんわ」「土地が一番高く売れそうやから廃止するのとちがうのか」「『機構』は地上げ屋と同じや」「昔は赤紙で戦場に駆り出された。今度は白紙で命を奪うのか」等々居住者の怒りが渦巻きました。
 炭鉱の閉山によって職場を追われて九州から大阪へ就労し入居した高齢の居住者は、「閉山で住み替えも政府の方針だった。今度も『機構』を廃止し、老朽化を口実に一方的に追いだすのも政府の方針だ」と述べ、「ワシは政府の二重の犠牲者だ」と怒りを込めて語っています。
 その後、「機構」は、2008年3月末の退去期限を1年間先送りにし、「契約期間」が終了する6ヶ月前に居住者へ賃貸借契約の解約と家賃の受領を拒否するとの通告をしてきました。
 居住者は、「機構」に対して耐震強度不足を理由にした明け渡しには「正当事由」は認められないとの意思表示を行いました。また、「機構」から提供された「耐震性結果表」から退去対象となった8棟の内1棟は耐震強度基準値を超え、もう1棟も補強すれば基準値を達成することが明らかになりました。
 そこで、別宮団地自治会(以下「自治会」)は、高齢単身世帯や低所得者世帯が居住者の中に多数を占めることから、耐震性基準値を超える住宅や補強すれば安全性を確保できる住宅へ住み替えをさせて住み続けられる権利を保障すること、また、府営住宅や市営住宅へ優先入居制度を認めることを「機構」へ申し入れました。
 「機構」は、「自治会」の申し入れに対して、「対象団地の跡地を売却する方針は閣議決定であり応ずるつもりはない。但し八尾市が譲渡を希望し条件があえば売却してもよい。」との見解を示しました。しかし八尾市は財政難を理由にこれに応じようとしませんでした。
 また、国土交通省は、公営住宅の優先入居制度の適用について、2006年9月26日付けで国土交通省住宅局住宅総合整備課長名で各都道府県公営住宅担当部長へ「雇用促進住宅の廃止に伴う公営住宅への優先入居について」の通知を出しました。
 その「通知文書」によると、「雇用促進住宅の入居者は、世帯年収500万円未満のものが8割、60歳以上の高齢者世帯が1割以上となっているなどの状況にあり、雇用促進住宅からの退去後の住宅の確保が困難を極めるものと考えられるところです。つきましては、(中略)雇用促進住宅の廃止に伴う退去者のうち、住宅に困難する低所得者で特に困難度の高い者については、(中略)入居者の選考において優先的に取扱をいただくよう特段のご配慮をお願いします。」と連絡しています。
 「自治会」は、八尾市長と3回にわたり面談し、別宮団地用地を八尾市が購入し居住者の居住を保障すること、公営住宅に優先的に入居できるようにすること、を申し入れましたが、居住者の要望を受け入れる回答をしませんでした。公営住宅の優先入居制度の「通知文書」については、「全国的に事例がないことや公営住宅に優先入居制度を設ける余裕がない。」「政府の政策の犠牲者を地方自治体へ押しつけられることは迷惑だ」と述べ居住者の要求に具体的に応えようとはしませんでした。
 また、大阪府へも府営住宅への優先入居制度の適用を申し入れましたが、大阪府は八尾市の対応とまったく同じ態度を示しました。
 「機構」は、公営住宅の優先入居の「連絡文書」が別宮団地対策として出されたことを明らかにしましたが、全国の雇用促進住宅から立ち退きを迫られた居住者へ適用されることになっており、制度化の運動をすれば実現の可能性があります。
 2009年3月1日以降、「機構」は、居住者の代理人を飛び越えて、「契約解除明け渡し」の督促状と地代の倍額の損害金の請求を居住者全員へ直接内容証明郵便で毎月末に通知してきました。
 「機構」の内容証明郵便を受け取った大半の居住者は、この「脅迫状」に等しい督促状に釣られて、約1キロ程度離れた雇用促進住宅「青山団地」へ2年間の入居期限の定期借家契約で賃貸借契約を締結し退去しました。
 残された7世帯の居住者は、2009年11月「機構」のこのような脅迫に屈することは居住の権利を失うことになり、将来に渡って住み続けられる権利が守られないことから、明け渡し訴訟が提起されれば最高裁まで闘うことを決意し、「機構」本部の幹部職員を呼び付け説明を求めました。
 来訪した「機構」本部の幹部職員に、「自治会」側の代理人を無視した内容証明郵便による「通知」は、ルール違反であり無効であると抗議しました。そして、「明け渡しを請求される根拠はない。借地借家法の正当事由にはあたらない」と抗議すると、「機構」側は、今後は代理人へ通知するとの対応に終始しました。また、「居住者の住み替え先として『青山団地』へ定期借家契約を条件に優先的に入居できるので応じてほしい」と説明文書を配布しましたが、その配布資料の中で「多くの民間借家の契約は、定期借家契約です。」と書かれていることに「その根拠を示せ」と説明をもとめたところ「根拠はありません」と答え、「機構」側は取り消しました。
 「機構」は、2009年11月26日付けで居住者へ「法的手段」で明け渡しを求めるとの通知を送ってきました。
 「自治会」は、改めて「機構」へ明け渡し請求を拒否する旨通知しました。
 ところが、2010年1月22日付けで「機構」から、突然「定期借家契約の条件を取下げ、普通賃貸借契約で青山団地へ三月末までに移転することを前提に和解したい」との申入れ文書が送られてきました。
 「自治会」は、この和解の申し入れに対して、@地代相当損害金の請求は放棄すること、A1世帯で2戸契約している世帯は2戸分の住宅を確保すること、B家賃は従来額よりも上がらないこと、C引っ越し費用として20万円を支給すること、を条件に和解に応ずることを確認しました。
 「機構」は、「自治会」側の和解条件を全面的に認め、2月25日に和解しました。
 この和解による解決は、全国で初めてであり、「機構」から定期借家契約で更新し廃止を迫られている約14万世帯にとっても朗報であったと評価できます。
 10年前の2000年3月1日に施行された定期借家制度では、同一居住用建物が当事者による合意によって普通賃貸借契約から定期賃貸借契約へ変更されても定期借家制度は適用しないことが借地借家法に規定されており、同一建物でないものの貸し主側の都合で住み替えを余儀なくされる本件のような場合にも普通賃貸借契約が存続するとの「自治会」側の主張に合理性があるものと考えています。
 また、「機構」が廃止され新たに「高齢・障害・休職者雇用支援機構」へ委譲されたとしても、今回の和解条件は当然継承されるものであり、「正当事由」による明け渡し請求があったとしても、借地借家法により居住者の居住の権利は保護されるものと考えています。


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東京地裁もNTTの大掛かりな不当労働行為を断罪
弁護士 出 田 健 一


  1.  大阪高裁は、通信労組組合員17名の名古屋への配転の業務上の必要性を否定して全員に総額900万円の慰謝料を認め、最高裁でも勝利しました(本時報昨年2月号、本年1月号)。裁判は七つの地裁で行われましたが、大阪だけは訴訟に先行して労働委員会闘争に取り組み、2008年、格調高い中労委命令を獲得しました(本時報一昨年11月号)。その中労委命令の取消訴訟で、本年2月25日、東京地裁は会社の請求棄却の勝利判決を言い渡しました。東京地高裁による相次ぐ中労委命令の取消の事態に不安感を抱いていましたが、二重の勝利に組合員は大喜びです。

  2.  2002年度から実施されたNTTの11万人リストラは、@トップ企業の持株会社とその大株主である小泉内閣主導であること、A全社的には黒字の優良企業で大規模なリストラを強行したこと、B従って全国的波及効果が重大視されたこと、C時代に逆行する違法な50歳定年制と大幅賃下げ・転籍なのに、「退職・再雇用」と称して「同意」をとりつける新手法であること、D11万人という空前の労働者数であること、E「同意」を取るための脅しの手段であった遠隔地配転が空前の規模で予想されたことに特徴がありました(なお、最近のNTT東日本―北海道の契約社員の派遣社員化と併せ考えると、私は、11万人リストラの手法は、1985年の労働者派遣法制定時に当協会意見書で強く反対し、同法32条に修正された、「業として行わない労働者派遣」の手口ではないかと思い始めました。派遣研究会の皆さん、ご意見を下さい)。このため全労連にNTTリストラ対策本部が設置され、大阪労連とともに民法協も全面的に支援して声明を出し、当時事務局長であった城塚健之弁護士も入って大弁護団を結成したのです。その意味でこの二重の勝利は当協会の伝統と特徴を発揮した結果といえます。特に大阪だけが取り組んだ労働委員会闘争の中間的とはいえ大きな勝利は、象徴的です。

  3.  中労委命令は、NTT西日本が、@「NTTグループ3か年経営計画(2001〜2003年度)」に基づく構造改革に伴う退職・再雇用制度の導入等に関する2001年5月以降の通信労組との団体交渉において、同労組に対する提案並びに同労組の求める資料の提示及び説明において合理的な理由がないにもかかわらず多数派のNTT労働組合と比べて取扱いに差異を設け、団体交渉期日の設定及び団体交渉における説明・協議において誠実性を欠く対応をし、NTT労働組合と合意するや否や、上記退職・再雇用制度の導入に伴う「意向確認」という名の退職勧奨を通信労組との誠実な協議を行わずに12月から実施に移したこと、A意向確認手続が終了して、配転対象者となりうる「60歳満了型」労働者の約7割が通信労組組合員であることが判明した翌年2月に、通信労組が申し入れた組合員の勤務地等に関する団体交渉において、本人の希望を尊重した配置を行うなどの配転の実施方針に関する団体交渉に応じなかったことは、労働組合法第7条第2号に該当する不当労働行為であると認めていました。

  4.  中労委命令と同じく、東京地裁も、複数組合間において差別的な取扱いは許されず、使用者は中立的態度を保持すべきであるとし、NTT西日本がこれに違反したと判断しました。そしてNTT労組との経営協議会において提示した資料や説明内容が、その後の同労組との団体交渉における会社の説明や協議の基礎となっているとして、通信労組との団体交渉における使用者の実質的な平等取扱いを確保する観点から、必要な限りで通信労組に同様の資料の提示や説明を行う必要があると判示しました。この部分は、持株会社を含むトップ企業と日本最大の単組との密室の経営協議会を利用した複数組合間差別として、おそらく初の司法判断と考えられます。持株会社相手の申立も行っていたらよかったと悔やまれます。

  5.  東京地裁判決には2、3の点で中労委命令に反した判断をした箇所があります。しかし重要なことは、中労委命令が不誠実な交渉態度であると判断した会社の1年近くにわたる数々の不当な対応について、個別に不当労働行為該当性を認めたものではなく、本件退職・再雇用制度導入団交における「一連一体の行為」としてその不当労働行為該当性を認め、これを特定したのが前述の@の命令主文であると指摘したことです。
     つまり、会社には交渉の始まりから意向確認手続という退職勧奨まで、それが終了してAの配転事前団交拒否まで、一貫して、NTT労組との間で通信労組に対する差別的取扱いがあった、と述べているのです。

  6.  そして、われわれが「中核的不当労働行為」と表現した意向確認という名の退職勧奨強行の不誠実性と、その後の配転の基本事項に関する事前団交義務については、中労委命令を越えたかのような指摘が見られます。
     前者については、「NTT労組と合意した本件意向確認の実施方法及びスケジュールを既定路線として、参加人(通信労組)の要求等を顧慮せずに、押し進めたものと評価できる。・・・・・少数派労働組合をないがしろにしてよいという理由にはならず、複数組合が併存する場合の中立的態度の保持の観点に照らすと、参加人に対しても、NTT労組との対比において、相応の時期に、本件意向確認の実施方法及びスケジュールを提案し、これらについて参加人が求める団体交渉の場で説明、協議を行うべきであったというべきである」と判示しました。
     後者については、「配転は、社員の配置の変更であって、職務内容や勤務場所が相当の長期間にわたって変更されるものであり、労働者の労働条件や生活環境に多大な影響を与えるものである。配転は、業務上の必要性があって行われるものであるが、使用者は、業務上の必要性を考慮するだけでなく、労働者の職業上、生活上の不利益にも配慮して労働者の配転を行わなければならないことからすると、特に本件退職・再雇用制度のように大規模な配転を行うことを予定している場合には、組合員の労働条件を守る立場にある参加人にとって配転がどのような方針で行われるのかは、正に組合員の労働条件に関する事項として、原告に対して確認し、協議していくべき事項であるといえる。」等と判示しました。なお、この点も、昭和48年12月1日三晃社事件大阪地裁決定を除けば、東亜ペイント事件最高裁判決以後、初の司法判断ではないかと考えます。

  7.  残念ながら組合破壊の支配介入の不当労働行為とまでは認定していませんが、命令も判決もわれわれの主張、すなわち、「11万人リストラは本件不当労働行為を必然的な手段としていた」との主張に相似します。そのことを支配介入という用語だけは使わないものの、中労委も東京地裁も事実と「ストーリー」を以って正確に把握したと評価できます。
     また、それは同時に、60歳満了型労働者の中の「多数派」(約7割)である通信労組組合員に対する配転自身の不当労働行為性をも示しています。それが大阪高裁で17名の配転の業務上の必要性の否定に結実したと考えます。

  8.  会社は東京高裁に控訴しました。組合員を奮い立たせ、名古屋配転に全員で提訴することとなり、大阪高裁・最高裁で勝訴した「労働委員会闘争を基軸にしたたたかい」を最後まで貫徹するべく、引き続き奮闘する決意です。

(弁護団は、河村武信団長の外、田窪、横山事務局長、城塚、西、増田、中西基、井上耕史、成見、大前各弁護士と主任の私)


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郵政民営化による解散解雇 郵便事業会社等を免責する不当判決
 ― 2社を排除する経緯の不自然さに目をつむった大阪地裁
弁護士 増 田  尚


 郵政民営化を契機に、郵便物の自動車輸送に携わってきた近畿高速郵便と大阪エアメールの2社が、民営化された郵便事業会社との取引を事実上打ち切られる見込みとなったことを理由に会社を解散し、両社の従業員らを解雇したのは違法であるとして、全港湾阪神支部に所属する組合員17名が、郵便事業会社等を相手取って、主位的には、労働契約上の地位の確認と賃金の支払を、予備的には、不法行為による賃金相当額の損害の賠償を求めた訴訟で、大阪地裁(中村哲裁判長)は、2月24日、原告らの訴えを全面的に退ける不当判決を言い渡した。
 郵政当局は、OB天下り人事や、唯一の委託先としての取引関係、関連会社間による株式の持ち合いを通じて、近畿高速郵便・大阪エアメールを支配し、郵政事業のうちの郵便輸送部門として利用してきた。民営化に際して、郵便事業会社は、郵便輸送部門を新設子会社(郵便輸送会社)に担わせることとしたが、そのことは、31社あった郵便輸送部門の関連会社を一本化することにすぎず、各関連会社が担当していた郵便事業を承継し、雇用を承継すべき立場にあったのである。
 しかし、郵便事業会社は、郵便輸送部門の関連会社を郵便輸送会社に一本化するかどうかを選別することとし、15社については子会社化するとしつつ、残る16社については取引関係を一般化(郵便輸送会社との取引比率を50%以下とすること)して、株式の持合いを解消するよう通告した。この16社のうち、近畿高速郵便・大阪エアメールだけがなぜか自社株式の引き取り手が見つからなかったため、経営が立ちゆかなくなるという理由で解散したというのである。しかし、訴訟の中で明らかになったことだが、子会社にされなかったある会社は、郵政OBが株式を引き受けるためだけの会社を設立してもらってまで、存続をさせてもらっている。郵便事業会社が音頭をとらなければ、このようなことはできないはずである。また、解散せずに残った会社との取引比率は、いまなお50%以下になっていない。「取引関係の一般化」が近畿高速郵便・大阪エアメールを解散に追い込むための口実にすぎなかったことは明白である。しかも、解散をした他の三社についても、希望者は、雇用が承継されているのである。なぜ、近畿高速郵便・大阪エアメールだけが、会社の解散を余儀なくされた上、雇用も引き継がれなかったのか、合理的な理由などない。
 ちなみに、郵便事業会社は、両社を子会社としなかったことについて、再委託せず自社で運行する比率が低く、郵便輸送会社のポリシーに合わないとか、近畿高速郵便については、自社建物が建築確認申請されていないことがコンプライアンス上問題があるなどと弁解する。しかし、郵政当局は、従来より、効率化を推進する観点から、再委託を推奨してきたのであり、他の関連会社も軒並み再委託率は高い。両社だけが排除される理由にはなり得ない。また、デューデリジェンスと称して、各関連会社の法令上の問題を調査したといいながら、労基法違反や窃盗などの事故についてはまったく無頓着であるなど、コンプライアンスが裸足で逃げ出すようなお粗末ぶりである。これらの弁解がためにするものであることを自白したも同然であった。
 結局のところ、両社の従業員らが全港湾阪神支部の労働組合を結成していることが、郵便輸送会社に一本化する上で桎梏となることをおそれて、これを排除するという不当な目的で解散に追い込んだことは明らかである。
 ところが、判決は、こうした数々の不合理に目をつむり、「郵政当局が両社を完全に支配していたとはいえないから法人格否認の法理は適用されず、郵便事業会社・郵便輸送会社が雇用責任を負うことはない」、「偽装解散とはいえないから解雇は有効」との形式的判断から一歩も踏み出すことなく、業務を継承するのであれば雇用も承継せよという原告らのまっとうな要求を切り捨てた。これほどまでに、不合理・不自然な経緯に対し一片の悩みを示すことなく、ただ淡々と、原告らの主張を排斥する判決文は、読むごとに怒りを覚えずにはいられない。郵便事業会社らの雇用責任を免罪し、司法による救済を拒絶した不当判決というほかない。
 原告らは、3月8日、本判決を不服として、大阪高裁に控訴した。引き続き、法廷内外での闘争への支援と協力を呼びかけるものである。

(弁護団は、富永俊造、坂田宗彦、梅田章二、伊東孝子、谷真介各弁護士と当職である。)


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心優しい西野さんの物語 ― モビーディック事件報告
弁護士 杉 島 幸 生


  1.  株式会社モビーディックは、全国に数店舗をもつレストランチェーンです。西野さんは、そのレストランで使うパンをつくる工場の工場長です。レストランの開店に間に合うよう朝早く工場に入って仕込みをし、やがて出勤してくるパートさんたちとパンを焼く、それが彼の仕事です。

  2.  ある日、彼は、本社からパン工場が移転になることを知らされます(2008年春)。自分の下で一生懸命に働く地元のパートさんたちが、いずれ工場移転とともに解雇されてしまう。心優しい西野さんは、思い悩みます。
     立場上、パートさんたちに工場移転のことを話す訳にはいかない、でも・・・そこで彼が考えたのは、パートさんたちがせめて失業保険くらい貰えるようにしたいということでした。ところがパートさんたちは雇用保険に入れてもらっていません。これでは失業保険もなく放り出されしまいます。悩んだあげく西野さんは、会社と掛け合うことにしました(6月9日)。

  3.  西野さんからの訴えも会社は相手にしてくれません。それどころか「西野! 今日中に退職届書いてくれんねんやろな!」と執拗な退職勧奨が始まりました。
     たまりかねた西野さんは、以前にチラシで知った「地域労組はらから」に駆け込みます(6月25日)。組合に加入したことで退職勧奨もやみ、会社は、工場移転で職を失うパートさんにも失業保険が支給されるようにすることを約束しました(7月1日)。無事、パートさんたちには失業保険が給付されました。でも彼女たちは、西野さんの努力を知りません。西野さんは、それでもそのことを自分のことのように喜びました。

  4.  労働組合に加入して労働者の権利について学習した西野さんは自分たちが違法な働き方をさせられていることに気がつきます。長時間労働、サービス残業、自分たちの職場は労基法違反の花盛り・・・心優しい西野さんは、今度は長時間労働の是正にとりくもうと考えます。あるとき西野さんは、おそるおそる社長に残業代が出てないのは法律違反じゃないですかと尋ねます。でも、やっぱり会社は相手にしてくれません。そこで、西野さんは労基署に労基法違反の申告をすることにしたのです(12月3日)。
     労基署からの連絡(12月4日)に社長は大慌て、西野さんにこれから長時間労働を直していくから申告を取り下げてほしいと頼み込んできました(12月6日)。心優しい西野さんは、社長がかわいそうになり、これから全社的にサービス残業がなくなればと、これで自分たちの職場も少しずつよくなっていくだろうと、申告を取り下げてしまいます。ところが西野さんの期待は、突然の解雇通知(2009年4月13日)により裏切られてしまいました。

  5.  心優しいけど、ちょっぴり短気なとこもある西野さん。ある日、工場長である自分の指示を聞かなかった部下を叱ろうとして、彼の胸ぐらをつかんでしまいます(4月7日)。会社はそれに目をつけ、西野さんが、持っていたパン焼きの鉄板でその人を殴りつけようとしていたと解雇理由をでっち上げてきたのです。会社から、その部下が西野さんに殴られそうになったという報告があったと聞かされた西野さんは驚きました。だって、その彼は、西野さんがパン焼きを教えてかわいがってきた人間だったからです。彼がそんなことを言うなんて信じられない。裁判をすれば、本当のことが分かるはずだ。西野さんは提訴を決意します(6月29日提訴)。

  6.  裁判になって会社は次々と西野さんの悪口を並べ立てます。「西野はパートさんにも乱暴な口をきく、それで退職したパートさんがいる」、「西野は出張先の工場でも嫌われていた」、「乱暴者の西野は控え室のロッカーや壁を壊してまわる」、「営業会議にも出席しない無責任な工場長」などなど、どれも西野さんには身に覚えのないものばかりです。そこまで会社は嘘をつくのか・・・あまりに続く会社からの悪口に心優しい西野さんは悩みます。
     そんなとき裁判官から会社に問いかけがありました。「なぜ、そんな西野さんを工場長にしたのですか?」と。会社は「あとの社員は、西野よりもっとできが悪いから・・・」としか回答することができませんでした。これで勝てる。西野さんは確信します。

  7.  でも、いよいよ証拠調べという段階で西野さんは再び苦しみます。会社が、自分がいろいろと面倒をみてきた部下2名を証人として申請してきたからです。裁判に勝つためには、彼らを法廷で嘘つき扱いしなければならない。心優しい西野さんには、それができませんでした。彼らとは、いつかこの事件のことをわだかまりなく話せるような関係でいたい。結局、西野さんは裁判所のすすめもあって和解解決の道を選ぶこととしたのです(2010年1月25日)。どこまでも心優しい西野さんです。

  8.  職場には復帰できませんでしたが、裁判をつうじて西野さんはたくさんのものを得ることができました。労働組合の仲間たちです。裁判に駆けつけてくた仲間、彼の支援に心から感謝の言葉を返してくれた仲間。それは今まで西野さんが知らない世界でした。
     労働者は団結しなければ闘えない、闘えないと自分たちの権利を守ることはできない。今、西野さんは、自分が学んだことを誰かに返していきたいと、「地域労組はらから」の役員をしています。
     ついこの間まで労働組合というものを知らなかった西野さんがです。人は闘いによって作られる。闘いは人を変える。西野さんにとって、この1年はそのとおりのものでした。

  9.  和解が成立したとき、西野さんが思わずつぶやいた言葉は、「早くパンを焼きたい」でした。心優しい西野さんは根っからのパン焼き職人だったのです。おいしいパンを焼けるようになる。それが西野さんにとって、本当の解決です。それももうすぐのことでしょう。がんばれ! 心優しい西野さん! 

(原告代理人 杉島幸生、所属組合 地域労組はらから)


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枚方自動車生活保護訴訟報告
弁護士 喜 田 崇 之


  1. 事件の概要
     原告は佐藤キヨ子さんという69歳の女性。佐藤さんは、生まれつき股関節がなく、真っ直ぐに起立することもできず、激痛が走るため、長距離、長時間の歩行ができませんでした。
     佐藤さんは、24歳で結婚しました。その後、長男裕治さんが生まれて夫と3人で枚方市で暮らしてきました。
     あるとき裕治さんは、「母の日に考える」という小学校の卒業文集の中で、「今、こんなお母さんに、ぼくがしてあげられることは、何だろうと考えた。」「それは、お母さんが一番ほしい物はたぶん自動車・・・と思う。」「ぼくが、大きくなって買ってあげられるまで、まっていてほしい。」という作文を書きました。それから、裕治さんが27歳になったとき、ついに佐藤さんに車をプレゼントしたのでした。
     佐藤さんは、自分の人生の視野を広げると思って、一生懸命に自動車教習所に通い、1年以上かけて免許を取得し、免許取得後も自動車の運転の練習を重ねていきました。そして、いつしか、佐藤さんは自由に自動車で移動できるようになり、佐藤さんの生活にとって必要不可欠なものとなっていきました。
     平成18年六月、夫が亡くなりました。その後、佐藤さんの収入は、年金だけになり、生活保護の申請をしました。
     一度は保護開始決定が出たのですが、枚方市は、換価価値のない佐藤さんの自動車を処分するようにずっと指導してきました。佐藤さんは自動車の処分をすることはできないでいると、枚方市は、平成19年5月、指導違反を理由に保護廃止の決定を下しました。
     その後、佐藤さんは、大変苦しい生活を強いられました。そして、再度生活保護の申請を行ったのですが、枚方市は、佐藤さんが車を処分しておらず前回指導の状況と異ならないため、却下決定の処分を下しました。
     これに対し、佐藤さんと我々は、平成22年2月23日、却下決定の取消及び国家賠償を求めて、大阪地方裁判所に訴えを提起しました。弁護団は、団長に尾藤廣喜先生、青木佳史先生、石側亮太先生、小久保哲郎先生、岡千尋先生、私の6名。枚方生健会、大生連、その他、様々な方々のサポートを受けています。

  2. 本裁判の意義
     裁判の提訴の日、我々は記者会見を開きました。そこでも述べたことですが、本裁判による問題提起は、以下にあると考えています。
     まず、第一に、そもそも換価価値のない車を保有することがなぜ認められないのか、ということです。
     生活保護法4条は「資産の活用」を保護の要件としているだけで、生活保護受給者が換価価値のない車を保有できない明確な根拠はありません。単に生活保護受給者は車など保有すべきではないといういわゆる劣等処遇論の押しつけなのです。
     過去、生活保護受給者は、冷蔵庫も、クーラーも、カラーテレビも保有することが認められていませんでした。それが、社会生活の発展とともに広く世の中に普及してくることによって、徐々に保有が認められるようになりました。
     しかし、車だけは今も例外的な場合を除いて保有が許されていません。今回の裁判はそのことを根本的に問題提起しています。
     次に、股関節に障害を有し、一人で歩行をすることが困難な佐藤さんにとっては、仮に換価価値のある自動車であっても保有が認められるべきだ、という点です。
     佐藤さんは、自動車に乗って、買い物、病院への通院、友人宅への訪問等を行います。その一つ一つが佐藤さんにとっての社会参加であり、佐藤さんの人生にとってかけがえのない時間なのです。
     車がない佐藤さんの生活は、どうしても行動範囲も狭く、性格も今と比べて暗かったようです。しかし、車を運転するようになり、行動範囲が広がって、社会参加がどんどん実現するようになって、佐藤さんは明るい性格になっていったのです。
     障害のある人が、社会で当たり前に暮らせるための施策の一環として、どう生まれ変わるかが問われるのです。

  3. 最後に
     現在、佐藤さんは、再度の生活保護の申請を行ったことにより、生活保護を受給しています。記者会見の場で、一人の記者が、現在生活保護を受給しているのにあえて裁判を行うのはなぜか、という質問をしました。
     これに対し、尾藤団長は、「行政が生活保護につき違法な処分をしました。その後、弁護士が文句を言ったら適法な処分が下されました。これでよいはずがない。我々はこれを許さないのである。誰が生活保護の申請をしても、同じように法律に基づいて行政サービスを受けられる世の中にならなくてはならない。許されない違法な処分をしたから、その是正を求めて提訴するのは当然である。」旨を答えました。
     佐藤さんも、自分と同じような境遇に立たされ、生活保護受給の際、車の保持を認められずに苦しんでいる人たちにとって、自分が裁判をすることによってそういった人達にも車の保持が認められるようになってほしいとおっしゃっていました。
     私も、尾藤先生のお言葉を借りるまでもなく、この裁判は、障害者にとっての自動車の意味、生活保護行政と自動車保有の是非、そのものを問いかける重要な裁判であると考えています。


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